第三部 魔人編
第一章 Happy Spring Day
Cill side 錆色の慟哭〈前〉
まだまだ寒い冬の日。姉であるサーヤとトランクスがいないことに慣れてきたころだった。
「これじゃあブルマさん、戻って来られないよね」
チルは宇宙船の窓の外を見て顔を曇らせた。
横にいるトーガは同じく窓を眺めながらシロを撫でる。
「慣れてるって言ってたけど出入り口も燃えてちゃあなー。瞬間移動で迎えに行くしかないんじゃない?」
二人がいる宇宙船は常に薄暗い地下にあった。
今、窓の外は明るい。――燃えていた。
原因は地震だ。
いきなり起こった激しい揺れ。そのせいでどこからか引火し、あっという間に地下を火の海に変えてしまった。
「そうだよね。行ってくる」
「戻ってきたら亀のじっちゃんのところに行こうぜ」
二カッと笑うトーガに頷いてチルは目を瞑る。
『やることがあるの! 大丈夫、こんな火事慣れてるから!』
チルたちを宇宙船に避難させたブルマは、そう言って地下室から去った。
行先は地上だろう。
(……いた。――え?)
上の気配を探ったチルは、目を見開いて天を仰いだ。
「あ、……あっ、うそ……」
「お、おい!? どうした?」
「み……みんな、外に、出てる……外で、殺されて――」
チルは焦点の合わない目で天井を見ながら、呆然と呟いた。
「殺されてる!? なんでだよ!?」
トーガの腕からシロが落ちて転がった。
その間にまた気配が消える。
地上付近の小さな気配はぽつぽつとしていたり、塊だったり。
隠れるように小さくなっている気配と、身を寄せ合っているような気配の塊は一斉に消える。
大きな気の塊に押しつぶされ、まるで踏みつぶされるように。――そんなことをするのは。
「人造、人間……」
「!」
トーガが息をのんだ音が聞こえた。
地震の後だったために、周辺には動くものがほとんどいなくなっていた。
だから、人造人間が殺している人間の気配が、チルにはよくわかった。
人々の気配は誰もが怒りと悲しみ、絶望の色に染まっている。
中には一度で気配が消えず、弄ぶように気配が小さくなっていくものもあった。その気配は怯えと恐怖の色をしている。
小さい子どものような気配も、諦めたように穏やかな気配も、守るように重なった気配も、すべて消えた。
「こんな、ひどい……!」
人を人とも思わないような葬り方に、だんだん腹の奥が沸き立つような感覚を覚える。
「ブルマさんは? 生きてるよな!?」
「ブルマさんは大丈夫だけど……他の人たちが攻撃されてる……! 助けに行かないと!」
見て見ぬふりはできない。
目の前の双子の兄であるトーガだって自分と同じ気持ちなはずだとチルは思う。
だがトーガは即答せず、視線を床に彷徨わせる。そこでシロがコロコロと転がって止まった。
「……ならブルマさんを迎えに行く。そんで亀のじっちゃんのところに避難させて、戻ってきてから……」
「そんなの間に合わないよ! みんな殺される!」
「人造人間は二人いるって言ってただろ!? どっちにもトランクスは勝てなかったんだぞ! ブルマさんだけでも逃がせるかわかんねーのに他の人間までなんて無理だろ!」
トーガの言い分にチルは言葉を詰まらせた。
「オレたち二人で戦って敵わなかったら、ブルマさん死ぬんだぞ!」
「そう、だけど……! でも!」
トーガの言い分はその通りだった。
でもチルは完全には納得できない。
命を選別しているように感じたからだ。
「でもじゃない! 行くぞ! 早くしないと助けられなくなる!」
トーガに急かされ、チルは渋々瞬間移動した。――ブルマの元に。
「ブルマさん! まだ!?」
「ア、アンタたち!? どうして!」
防護服のようなものを着たブルマは、工具を片手に作業していたようだった。
「迎えに来た!」
「え!? なに!?」
「む、か、え、に、来、た!!」
ドオオという騒音が周囲に響き、声が通りにくい。トーガが大きい声を出してようやくブルマは頷いた。
「ちょっと待って、配管締めないと……」
「もー! 早く!」
騒音とブルマとトーガの会話に混じって微かな異音がした。
(……?)
上を向けば天井に穴が開いてる。
導かれるように穴からそっと頭を出すと、そこは真っ暗だった。割れた壁の隙間が遠目に見える。
チルの目には小さな隙間の向こう――明るい外がよく見えた。
無意識に吸った息が、「ヒュッ」と音を立てる。
赤く染まった白い雪。
真っすぐな閃光。続く、どおんと鳴る轟音。
かすれた苦痛の声。地面を転がりながら叫ぶ人間。
「助けて」の声の後に消える気配。上半身しかない子ども。
か細く「こわくないからね」と何度も言う声。
どん、どん、どおんと重い音の後に震える大地。
目を見開いたまま動かない人間。
細長いものを垂らしながら揺れる何か。
気がつけばチルは割れた壁の前に立っていた。
「チル! なにやって……!?」
背後で聞こえるトーガの声と、悲鳴に混ざった声が重なった。
「アハハッ」という、かん高い笑い声。
「もう逃げられないよっ! ほら、さっさと出て来な! 殺してあげるからさあ!」
歪なそれが聞こえたとき、頭の中が一気に熱を持った。
「あん、なの、許せない……っ! 行こう、トーガ!!」
すぐそばでトーガがなにか喋っているが、耳にはまったく入ってこなかった。
「ダメよ! 行っちゃ……!!」
ブルマの制止の声だけが耳に入ったが、それが自分に向けてなのだと理解した時にはもう遅い。
すでに目の前にいた人造人間に拳が向かっていた。
『怒ると強くなれるよ』
そうチルに教えたのは魚人のダイだ。
『一時だけね。頭は冷静でいなきゃならない。ちゃんと周りを見てないと、すぐやられちゃうぞ』
飛び出した後で思い出してももう遅い。
人造人間二人を相手にしたチルは長く殴り合うこともなく投げ飛ばされた。
そのまま地面にぶつかるかというとき、チルの耳にトーガの声が入ってくる。
「ばかっ!」
ぶつかる寸前でチルはトーガに受け止められた。
「避難させてからっていったじゃんか!」
「……ごめん」
「逃げろって言ってきたから」
トーガはそういうなりチルを離して前を向く。
ブルマが逃げるまで、人造人間の相手をするぞということだ。
チルは唇を噛みしめて頷いた。
人造人間に軽くあしらわれ、飛び出したときの勢いはチルにはもう残っていなかったからだ。
「受け止めた? ――まだガキじゃないの」
「初めて会った頃の孫悟飯くらいか?」
「よく覚えてるね、アンタは」
空から降りてきた二人の声はあまりに無機質で、チルはなぜか震えそうになった。
それでも足を踏ん張り睨み上げると、黒髪の人造人間の目がわずかに見開く。
「同じ顔……双子か。珍しいな」
「どうでもいいよ。出てきたってことは遊んでほしいってことだろ?」
人造人間たちは、無機質に口角を上げる。
チルとトーガは二人で左右対称に構えを取ると、同時に足を踏み出した。
そうして交えた金髪の人造人間の拳は、チルが想像していたより速くそれでいて重いものだった。
一撃食らったら動けなくなる。
直感でそう思ったチルは避けながら気弾で応戦したものの、気がついたときには自分の真上に黒髪の人造人間がいた。
状況は混戦といえるものだった。人造人間は入れ替わりに双子を攻撃し、双子は受け止めるのが精いっぱい。
人造人間に気配がないこともチルには不利だった。それを補う経験はない。
結果として重い一撃を食らったチルとトーガは共に地面に落ちていく。
「――オレは反対だな」
人造人間の二人が、話しながら降りてくる。
「孫悟飯といいトランクスといい、アンタは時間をかけすぎなんだよ。無駄に」
「普通の人間だとすぐ死んで面白みがない。長く楽しめる方がいいだろう?」
話し合いというより言い合っているようだった。
(この間にソタ豆を……うっ!)
腰につけている〈かばん〉に手を伸ばした途端、手足が強張った。
じんじんと響くように人造人間の攻撃を受け止めた個所が痛んだのだ。
特に痛むのは右の脛のあたり。――折れているようだ。
「そう言って殺し損ねたヤツいるんじゃないの」
「いいじゃないか、どうせ最後には殺すんだから。今でも後でも大して変わらないさ」
「そりゃそうだけど」
じゃり、と地面を足で擦るような音が近くで聞こえる。
「私は今、殺したいんだよね」
攻撃される、と思ったチルは身体を強張らせた。
ピッと鳴った軽い音に続いたのはドンという破壊音で、いくらか離れた場所で「ギャアッ!」という断末魔が混じる。
(――え?)
瓦礫になった建物――そこに、隠れている気配があることに気づいた。
身体を起こせば位置がよりはっきりとわかる。
(――待って、多い)
小さい気配が至る所で息をひそめていた。
さっきの悲鳴はそのうちの一つ。
(……ダメだ。ここから離れないと……!?)
その時、髪の毛が強い力で引き上げられた。ぶちぶちと髪の毛が切れる音と頭部に走る痛みに顔を顰める。
顔を覗き込んだ水色の瞳とチルの黄色い瞳がかち合った。
「へえ。目、黄色なんだ」
細い三日月のように細まった水色の目に、背筋が凍る。
「――結構かわいいカオしてるじゃない。腫れちゃって台無しだけど」
「うあっ!」
「痛い? フフッ、カワイソー」
人造人間はクスクスと笑いながら更に頭を引っ張った。
チルは呻きもがくように腕を振り上げるが虚しく宙をさまようだけ。
「や、めろ、ブス」
トーガの言葉に辺りがしんと静まり返る。
「――なんだって?」
ドサッと音を立ててチルは地面に落ちた。
急いで起き上がろうとするが、折られた脛が痛む。
「もう一度言ってごらん」
底冷えのするような声だった。
チルはトーガが言った言葉がどんな意味なのか解らなかったが、人造人間の豹変ぶりに腰が引ける。
「おやおや、こわーいお姉さんを怒らせてしまったぞ」
「うるさいよっ!」
「ご、ぁっ!」
人造人間は苛立たしげにトーガを蹴った。ボールのように跳ねたトーガの後頭部を掴み、そのまま地面にめり込ませる。
思わずチルは目をギュッと閉じた。
「もう一回言ってみな。誰が、何だって?」
「う……」
「ほう、気絶しないのか。頑丈だな」
――トーガを助けに行かなきゃ……!
腕を突っ張り起き上がった瞬間、声が聞こえた。
「ちょっと! いい加減にしなさいよ!」
聞き間違いかと思った。
聞き間違いであってほしかった。
その声の主は、瓦礫の陰から飛び出して小さな銃を構えた。
「ブ、ル……さ……、にげ……」
掠れたトーガの声にハッとする。
「小さい子イジメて恥ずかしくないわけ!?」
「は? うっさいよオバサン」
人造人間の掌がブルマに向いたとき、チルは脚の痛みを忘れた。
「ブルマさん!」
「キャア!」
「!」
ブルマに抱き着いて気弾を避ける。その反動で二人は地面を転がった。
チルはすぐさま起き上がり、ブルマを背に庇う。
「チル逃げろ!」
「お前! ……!?」
「早く!!」
さっきまで人造人間に頭を掴まれていたトーガが腕を掴み返している。
一目見てソタ豆を食べたのだと察知したチルは、ブルマを連れて瞬間移動しようとした。だが、亀仙人の気配を察知するより早く人造人間がチルの前に立ち――踏んだ。
「あっ!」
「そんなに急がなくてもいいだろ」
人造人間がチルの手を潰すように踏んでいる。
――これじゃあ瞬間移動できない!
「お前がブルマか。結構年寄りなんだな」
「――名前を知られているなんて光栄ね……!」
「孫悟飯とトランクスの仲間だろう? 話しているのを聞いたことがある。……双子は新しい仲間ってところか」
チラリと視線を移せばトーガが空中で戦っているのが見える。
チルは人造人間の意識がブルマに向いている隙に左手を服の中に滑り込ませた。
首から下げているナウネの〈お守り〉。その中にソタ豆が入っている。
「こんな子供に戦わせるなんて、情けないとは思わないのか?」
「……その子どもを踏んでるクズに、言われたかないわよっ!」
「!」
ズゥオォ!という独特な音がチルの頭上をかすめ――人造人間の足がチルの手の上から退いた。そして爆発と破壊音が続く。
その機を逃さなかったチルはソタ豆を取り出した。
「――なかなかいいモノを持ってるじゃないか。くそババア」
煙が上がる中から人造人間が髪をかき上げながら現れる。
派手な音がしたのに服が少し破けている程度しか傷がついていない。
小型銃を構えたブルマは「あんまし効いてない……」と苦虫をかみ殺したように顔を顰めている。
チルはブルマの腹部を抱えるように持ち上げ走った。
(飛んでもすぐ追いつかれる。どこかに隠れて瞬間移動しないと!)
ブルマを逃がしたくても亀仙人の気配を探る隙がない。
身をさらして走っている今、背後に集中しなければ攻撃を避けられないからだ。
「この服装は気に入ってるんだ。同じのはあと3着しかないんだぞ」
瓦礫の合間を縫うように低空で飛ぶチルのすぐ真上に、淡々とした声がやって来た。
(もう来た!)
「そっちの方が似合ってるわよ!」というブルマと「口の減らないババアだ。――おっと、二度も食らうか」と答える人造人間の応酬がチルの頭上で行われている。
バキンという金属が割れる音の後、抱えているブルマが上に持ち上げられた。
「ブルマさんを離せ!」
咄嗟に蹴り上げたが容易に足を掴まれる。
ブルマと引き離そうとしているのかそれぞれ別の方向に引っ張られ、チルは必死にブルマを掴んだ。
「なぜ治ってる? もう一人もケガが治った。――意味がわからないな。もう一度折るか」
(折られる! でも!)
チルは脚をあきらめた。
自分より目の前の人を生かさなければならなかった。
脚を圧迫されたとき冷静に人造人間の腕に向かって気攻波を放つ。
すると人造人間はあっけなくブルマから手を離した。
(ごめんブルマさん!)
この勢いでチルが手を離したら、ブルマは地面にたたきつけられる。
しかしチルは迷わず手を離し、人造人間ごと瞬間移動した。
ちょうどトーガともう一人の人造人間の間に現れると、脚を掴む腕に向かって気弾を放つ。離れたと同時に距離を取れば近くにトーガが飛んで来た。
(ここから離さないと)
目で合図を送るとトーガは頷いた。二人は息を切らせながらも構えを取る。
「なんでいきなりこっちに……どうなってるんだよ!」
金髪の人造人間が眉を顰めてもう一人に声を荒げる。
「あの子どもは一瞬で移動できるみたいだ」
黒髪の人造人間はチルを指差し口角を上げた。
「一瞬で? ヘンなガキだね。すぐ怪我治るし」
「ああ、面白い」
黒髪の人造人間は両手の平をこちらに向ける。金髪の人造人間が「フン」と鼻を鳴らした。
「逃がすんじゃなかったの?」
「ちょろちょろ動かれるのは鬱陶しい」
黒髪の人造人間が目を細めてチルを見つめる。
「これくらいで死んでくれるなよ?」
まるで子供をあやすような仕草で放たれたのは、予想に反して広範囲の攻撃だった。
雨のように辺り一帯に降りかかる気弾と、背後のブルマの気配にチルの身体は勝手に動いた。
