第三部 魔人編
第一章 Happy Spring Day
Cill side 錆色の慟哭〈後〉
パチパチと火が爆ぜる。
それ以外は無音で、気配すらなくなっていた。
あたりはバラバラになった建物の瓦礫が散乱し、至る所で炎が天に手を伸ばしている。
「まさか全部受け止めようとするとはな」
その声にチルは返事はおろか動くことができない。
人造人間が降らせた気弾の雨は、チルに選択を迫った。
どれだけ威力の小さい気弾でも落ちればブルマや瓦礫に隠れている人々を容易に傷つける。
人造人間を殴りに行って止めるか。
すべて受けて守るか。
チルが選べたのは、後の方法だった。
無我夢中で気弾を捌いた代償は、赤黒く変色した両腕と両足だ。
チルは痛みに耐えるように短く息を吐いている。
腕を放り出して座っていたチルの前に人造人間がしゃがみこんだ。
「そんなにあのババアが大事か」
チルの腕がピクリと震える。
視線を上げれば口角が上がった人造人間と目が合った。背筋にぞっとした悪寒が走る。
「フフ、どうしたんだ? そんなに怯えなくても、今はお前を殺さないさ」
黒髪の人造人間は声を出して笑った。
(おび、える……)
感情をピタリと言い当てられたチルは反応できずに固まった。
「孫悟飯やトランクスにもお前みたいな可愛げがあったらな。そしたらもっと……」
そう言って立ち上がった人造人間はチルを満足げに見下ろす。
まるでしつけに成功した飼い主のような目つきで。
――心のどこかで勝てると思っていた。
だって油断しなかった。
背後から襲われたわけじゃない。正面から挑んだ。
そして負けた。
どれだけ気弾を防いでも全部は防げなかった。
残った気弾は建物を壊し、隠れている人々をつぶした。
ブルマの気配周辺は死守したが、その代償は大きかった。
チルの両腕は変色し動かすほどに痛み、脚も思うように動かない。
対して、人造人間は衣服が少し破けてるだけで目立った傷はない。
――目の前のいるのは勝者。
勝てる気が、しなかった。
生まれて初めてそう思い、身体は震えた。
踵を返し歩き出した人造人間を眺めることしかできない。
目からはぼとぼと雫が落ちていく。
ぼやけた視界でかろうじてわかったのは、土煙が上がっていること。
――トーガが戦ってる。
気弾の雨が降った時、チルはトーガを蹴って範囲から出した。
だからまだ戦えるのだろう。
自分も行かなければと思うが、涙は止まらなかった。
行けば、きっと、倒れている人間と同じになる。
殺さないなんて言葉が、意味を持っているわけがない。
考えている時間が、異様に長く感じた。
ふと、服の色が変わっていることに気づく。
涙で濡れたのは、ちょうど首からかけている〈お守り〉のあたりだ。
――負けた、けど。
「う、ううっ……痛っ! ――ぐぅっ!!」
歯を食いしばって腕を動かし首にかかっている紐を引っ張る。チルはおもむろに〈お守り〉に口をつけた。
――負ける、けど……死んでも、〈お守り〉がある。
(わたしが飛び出したから……みんな助けられないのに手を出したから……! ブルマさんだけでも助けなきゃ……!)
ソタ豆を噛みしめ、涙をぬぐいながら立ち上がる。
そしてブルマの気配に向かって瞬間移動した。
出た先は狙い通りブルマの近くだったが真後ろだった。
そこから見えたのは金髪の人造人間に足蹴にされているトーガと、黒髪の人造人間の手のひら。
とっさにブルマを横に倒すと、気弾はギリギリで回避できた。
しかし「また来たのか」と呆れを含むような声がし、背中に圧がかかる。ブルマを突き飛ばせば右足が激痛に襲われた。
「うあああっ!?」
「何回まで治るんだ? 無限ってわけじゃないんだろ?」
「もういいよ。治ったって弱いし、飽きた。――他行こ」
金髪の人造人間の声が続き、トーガの呻く声が離れたところから聞こえた。
背中は黒髪の人造人間に踏まれている。
右足は折られたときと痛みが違う。きっと、貫かれた。
「やめなさいよ……!」
ブルマが寄ってくるのが音でわかる。
それに『来ないで』と言いたいのに、背中を強く押されて呻き声が出た。
「こうして止めておかないとまた邪魔されるだろ」
「あぐっ!」
ブルマの悲鳴にハッとする。
歯を食いしばって顔を上げると、宙にブルマが浮かんでいた。
よく見ればこめかみが血で濡れている。
チルが放り出したときにぶつけたのだろう。
「最後に言いたいことは? それ次第では生き延びれるかもしれんぞ」
笑いを含んだ言葉はブルマに向けられたものだ。
それに対してブルマは、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「媚びろっての? 真っ平、ごめんだわ……! アンタたちなんか、もうすぐ、倒されるんだから……!」
首を絞められながら、かすれた声でそんなことを言う。
――助けないと。
「うぐぐっ! ぅううう!!」
チルはもがいた。
息ができなくなるまで圧迫される中、痛みを忘れるほど力を込めた。
「見上げたババアだ。――これならどうだ? 苦しいだろ?」
「あっ、ぐ、ううっ! ぜ、ぜんっ、ぜん! ……二人とも、逃げなさい!」
チルの爪が地面にめり込むのと、発砲音が鳴ったのは同時だった。
見開いた目に、ゆっくり映ったのは銃を構えたブルマの姿。
ブルマの身体は宙を舞い、近くの瓦礫にぶつかる。
一筋の閃光のあと、瓦礫がブルマの上に――。
「まだ銃を隠していやがったとはな」
「プッ! ただのオバサン相手に、二回も撃たれて……! アハッ! ハハハハッ!!」
舌打ちをする黒髪の人造人間と、可笑しそうに声を上げる金髪の人造人間。
笑い声で耳鳴りがする。
チルの頭の中が墨でも落とした紙のように一瞬で恐怖に塗りつぶされていく。
(い、いま、頭、打たれ、死ぬ、死、殺、される)
頭はがんがんと痛み、息切れは収まるどころか悪化した。
――動けない。
息ができるほど背中の圧迫感は軽くなったのに、ずんとさらに重くなった気がした。
胃の奥がぐるぐると渦巻き、首の裏が寒くなる。
ふと視線を落とした先の自分の手が、ブルブルと震えていた。
「ぁ、っあ――――――――――ッ!!!!」
トーガの叫びでチルは無意識に身体を起こした。
怒りと悲しみ、そしてほんの少しの愉悦が混ぜ合わさったような叫び。
そんな声は一度たりとも聞いたことがなかった。
「なんだ? ……その姿は」
トーガが今まで見たことがない姿になっている。
髪は金色で気配もまるで違う。
燃え盛る炎のような気配をまとったトーガは、金髪の人造人間を蹴り上げるとこちらに向かってきた。
「フッ! 孫悟飯やトランクスと一緒か!」
黒髪の人造人間は、面白そうに笑う。
「よくもブルマさんを! 殺してやる……!」
拳を振り上げたトーガのおかげでチルの背中は解放された。――しかし。
「やってみろ。――そら、左がお留守だぞ!」
人造人間の手のひらから放たれた気弾は、チルに向かっていった。
+ + + + + + + + + + +
「会いたかったぞ、わが兄弟よ」
おぞましい声でチルは目を覚ました。
(……? あれ……わたし……うっ)
頭の後ろ側がやけに痛んだ。人造人間の気弾が当たった場所だろう。
どうやら気絶していたようで、記憶が一部飛んでいる。
(生きてる……?)
頭をあげるとチルの前にトーガが背を向けて立っていた。
「ト、ガ……?」
背中になにか――緑色の管のようなものが刺さっている。
声をかけると、トーガの首がわずかに動いた。
こちらを向くかと期待したが、そのままブルブルと震え出したトーガはチルの目の前で溶けた。
血よりも薄い色の液体がドロッと地面に溢れる。
残ったのは、服と靴。
「――えっ?」
目の前で起こったことが信じられず、手を伸ばした。
忘れていた足の痛みがぶり返したが、構わず四つん這いでトーガのシャツを掴む。
そして抱え込むように引き込んだ。
「……今、何をしたんだ? 溶けたみたいに見えたが」
「フフ、苦戦しているようだったからな。手を貸してやったのだ」
「なんだと?」
頭上で声がしたが、チルは頭をあげることができなかった。
掴んだ白いはずのシャツは鮮やかな肉の色に染まっている。中からは色の変わらない〈お守り〉が顔を出した。
(死んだ。トーガが死んだ。あんな簡単に、〈お守り〉も効かなかった)
吐きそうだった。
自分より強かったトーガがいない。
目の前で溶けた。
息が、短くなる。
手は震えていた。歯もカチカチと音を立て、耳がキーンと痛くなる。ぞわぞわとした悪寒が身体に広がり、肌は粟立つ。
それが身体の悲鳴なのだと、唐突に思い知らされた。
頭上で人造人間がなにを会話していようともチルの耳には入らない。
(トーガも、ブルマさんも、みんな、みんな死んだ。――次、は)
チルは支配されていた。――訪れるであろう死の恐怖に。
いつ自分が同じ道を辿るのかという思いだけがチルの頭にあり、鈍らせた。
そんなチルが現実にもどって来れたのは、炎の塊のような――トーガと似ている気配が、存在を主張したからだ。
いつの間にか帰ってきていたサーヤとトランクスの気配を感じ、チルの血の気がさあっと引く。
「――なんで……。なんで、来たの……。なんで……死んじゃう……死んじゃうよ! 逃げて! トーガも死んじゃっ……」
トーガのシャツを証拠のように広げて見せた。
できる限りの声でも訴えたが、想像以上に声は出ず、嗚咽が混じった言葉はどこにも届いていないようだった。
「逃げてよお……!」
もう誰も、目の前で死んでほしくない。
チルはうめき声を上げて泣いた。
サーヤもトランクスも、ヒーローには思えなかった。
知ってる気配より多少変われども、トランクスの気の大きさはさっきのトーガと同程度。
一瞬で敵わないと確信するほど、人造人間たちよりも弱くて頼りなかった。
「命乞いさせながら殺してやる。せめて孫悟飯よりは楽しませなよ?」
楽しそうな人造人間の声に、涙がぼたぼたと落ちていく。
(もうだめだ……みんな死んじゃう……)
縋るかのようにトーガのシャツをぎゅうと抱きしめた時、サーヤの叫びがチルの鼓膜を震わせた。
驚愕と憤怒がないまぜになった悲壮な叫び。
その声に、胸が一気に苦しくなった。
そして一斉に降り出した気弾を避けるように、チルは頭を抱えて小さくなる。
(ごめんなさい、ごめんなさい……! わたしが、にげなかったから……!)
チルの心はもう、ぽっきり折れてしまっていた。
しゃくりあげながら小さく小さく身を縮め、シャツに顔を埋める。
気弾を避けることも受け止めることもなく、怯えた草食動物のように震えていた。
「チル! 大丈夫!?」
そんな言葉と共に背中を撫でられた。
「サーヤ? なの?」
身体を起こしたチルは間近で見たサーヤに驚いて目を瞬かせる。
ぼやけた目には金髪の知らない大人が映っていたのだ。
「それ以外なにに見えるんだ。そうだよ!」
タオルで顔を拭われるとサーヤの姿がよりはっきり見える。
身長だけではなく顔立ちも変わったような気がするし、金髪で瞳は青だ。
気配も微妙に変化している。
どうして本人だと思ったのだろう、と疑問が浮かぶほど知っている姉とは様子が違った。
それでも丹念に汚れを落とされ抱きしめられれば、チルの身体から力が抜ける。
「がんばったね……。痛かったでしょ」
声は変わっていなかった。
慣れ親しんだ声でそんな言葉をかけられたとき、緩んだ涙腺からまた涙がこぼれた。
――自分が飛び出したから戦うことになった。
そのせいでどんなことにが起こったのか、サーヤに教えなければならないのに。
無意識にトーガのシャツを握り締め口を開くが、情けなさと罪悪感がない交ぜになりうまく言葉がでてこない。
そのうちに〈壁〉が現れ、怒りの形相をしたサーヤが人造人間ではない別の敵を躊躇いなく切り刻み始めた。
「え……?」
サーヤはチルにとって庇護対象者であったはずだった。
刃物が掠れば血が出てしまうし、軽く押しただけで顔から転び、地面に膝が当たれば小石が食い込み、おまけに足首を捻れば真っ赤に腫らす。チルと比べれば紙と金属ほどに違う身体の強度だった。
なおかつ気配がない物に無防備で、気をつけなければ扉の開閉でさえぶつかった。
トーガが軽く物を投げたとき、取り損なって鳩尾に入り気絶したこともあるくらいの脆弱さ。
そんなサーヤは衣服の破けた箇所に血がついている。脚は血まみれと言ってもいい。
いつもなら動けないはずだ。
でも歩いている。痛そうにも見えない。
そして〈壁〉で跳弾する石を防いでいる。
驚愕していると、今度は視線の端に光の拡散が映った。
続いたのは金髪の人造人間が爆散する光景。小さな破片がくっきりとチルの目に焼き付いた。
(――もう、倒した? そんな、簡単に?)
トランクスもトーガやサーヤと同じ金髪碧眼に変わっている。
誰よりも気の大きさは安定しているのに、攻撃の時は何倍も大きくなった。
気配は怒っているようだけど凪いでいる。焦っていない、余裕が感じられた。
――あの、人造人間相手に。
トーガとは全然違う、強さの格。
それをこんな離れたところで思い知らされている。
左ではサーヤが〈壁〉を駆使して敵をこま切れにし、右の離れたところではトランクスが人造人間を圧倒していた。
(あ……れ?)
立ち位置がいつもと違う。
いつもサーヤがチルの後ろにいたはずだ。
それが今や逆。自分はひとり、トーガのシャツを抱きしめて座っている。
――あたかも守られているような……庇護される側の立ち位置だ。
気づいてしまったら一気に喉がからからになる。
次いで自分だけがどこか遠くへ放り出されたような感覚になり、チルは呆然とサーヤを見上げた。
+ + + + + + + + + + +
人造人間をすべて倒した後、サーヤとトランクスはナメック星へ向かった。
黒色の煙が空に登るのを追って、チルは天を仰ぐ。
辺りにはなにもなかった。誰の気配もしなくなった場所で、チルは堪えきれなくなり大きく口を開いた。
「うあっ、わあああっ!!!!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き叫んだ。
喉が引き攣って掠れても、握り締めた手に血が滲んでも、そうしないではいられなかった。
苦しい時、悲しい時、つらい時、困難に直面した時はトーガとチルとサーヤで乗り越えてきた。
トーガと二人でサーヤを守るのは当然で必然だった。
チルはトーガがいなくなるなんて思わなかったし、ましてや他人――トランクスに姉を委ねなければならなくなるなんて考えたこともなかった。
はっきり言ってしまえば、嫌だった。
トランクスは出会った時からサーヤ泣かせるし、寝込んでも様子を見に来たことはない。
サーヤが扉にぶつかり鼻血を出したときも、工具を寄せようとして足に落としたときも、見ていたくせに声すらかけない。
気配だって淡々としていた。同じく見ていたブルマは慌てていたのに。
そんな無関心な人間が、サーヤを守るわけがない。
チルは二人で過去へ行くのも反対していた。
サーヤに『本当に行くの?』『危ないんじゃない?』『また熱が出るかも』などと日常の合間に声をかけたが、すべて『大丈夫』と軽く流された。それこそチルの言うことはなにも響いてなさそうで、腹が立ったほどに。
トーガと二人でトランクスに念を押しに行ったのは過去へ行く直前だ。しかし肝心のトランクスがきょとんとした表情だったために『頼りになりそうにない』とサーヤの〈お守り〉にびっちりソタ豆を詰めたのはチルに他ならない。
そんなトランクスが血まみれのサーヤを抱きしめたとき、チルは動けなかった。
また目の前で家族が死んでしまう。
思い至った最悪の結果に、とてつもない恐怖を感じていた。
サーヤの髪の色が金から黒にもどると、それはそれで衝撃を受けた。
トランクスが戻した。いとも簡単に、あっさりと。
チルには戻せなかったのに。
「なんでっ、抱っこされて、もどるのっ!? わたしもしたじゃん! ううっ……つよいから? ……うーっ!!」
生きていて嬉しいのと放り出されたような悲しさがチルの心をぐちゃぐちゃにする。
きっと過去で仲良くなったのだ。
トーガがいれば、流せたかもしれない。
仲良くなったんだねって軽口も叩けたかもしれない。
それまでに立て続けに起こったことに比べれば、ほんの小さな棘だ。
しかし、一人で受け止めるには鋭すぎた。
守ることが当然ではなく、必然でもなくなった。
トーガやチルじゃなくても事足りる。
もっといえば、チルでは無理だと思い知らせた光景だった。
『俺は、ここに残ります。二人だけで行ってきてください』
そうトランクスが言った時、チルは慄然とした。
もうボロボロだったのだ。
ソタ豆で身体は治っていても、心が打ちのめされていた。
知らないところに行って、知らない人と会うのが怖かった。敵と会ったら戦えないとさえ思った。
サーヤを守らなきゃ誰も生き返らないのに、サーヤに守られた自分がどうして守れる?
チルが一番弱くて役に立たない。
そう思い知らせたのはトランクスとサーヤだ。
だから『行かない』理由を話したのに。
『行けない』理由なんて言いたくなかった。
『サーヤになにかあったら守れるのトラ兄だけだもん。わ、わたしじゃ』
――守れない。
なによりも言いたくなかった言葉は、音になるまでもなく小さくなった自負心を砕いた。
「うっ、ひっ、ずっ……ううーっ、くやしいよおっ……!!」
人造人間に敵わなかった。
人々を救えなかった。
ブルマを逃がせなかった。
トーガの助けになれなかった。
サーヤに守られ、サーヤを止めることができなかった。
一番、弱くなってしまった。
「なんにもっ、やってないっ! できなかったあっ! ううっ、ひっく、だれも、助け、られっ……ぅうーっ!!」
威勢よく掲げた言葉は虚言になり、力は通用せず、なんの役にも立てず、誰にも何一つ必要とされない。
どれだけ力を尽くしても、守れなかった人々の亡骸に囲まれ一人で立っている今。
それが結果であり、自分の無力さの証拠だった。
つらかった。
悔しくて、悲しくて、惨めで――消えてしまいたくなる。
「うあっ、ああぁ――――――……」
暗い空にこだました叫び。
それは、やるせなさと無力感に打ちひしがれた慟哭だった。
