第二部 人造人間編
第四章 越える線
94 未来
穏やかだった視線が困惑したような視線に変わる中、私は息が詰まる思いでぎゅっと拳を握り締めた。
「そ、そんな……たまたまじゃないのか?」
「でもサーヤは疑いもしなかったわよ。『気はわかんないけど生きてる』って。おかしくない?」
クリリンさんとブルマさんのやり取りに、どくどくと心臓が早鐘を打つ。
「そうか……だからあんなに、確認したんですね」
近くで聞こえた呟きに心臓が縮む。
「ご、ごめんなさい」
胸を押さえるトランクスさんに謝ると私は俯いた。
表情までは見なかった。
「……答えろ。なにを隠している」
ピッコロさんが前に立ち、吐き捨てるように言った。
――実はそこにいて見てました。
そう言えば納得するだろうか。
でも、見ていたならなぜトランクスさんを置いて逃げたのか、とか突っ込まれると答えられない。
だって優先順位的にはトランクスさんが一番上だと誰もが思うはずだ。
トランクスさんのために過去にきたのに、恩人なのに、置いて逃げるというのは――違和感しかないだろう。
私は、即答できなかった。
ぐるぐると回る思考のまま見つめた先の床が陰った。
わずかに顔をあげると小さい靴が見えた。
悟飯さんの靴だ。
「セルも倒して全部終わったのに、こんな、まるで犯人探しみたいなことはやめてください! こんなのは嫌です!」
顔を上げれば、腕を広げてまるで庇うかのように、悟飯さんが小さな背を向けて立っていた。
――なぜ。
困惑に支配された頭に反して、口から「やめて」と言葉が漏れた。
私は、庇われるようなことはしてない。むしろ――――。
「そっそうだ! せっかく平和になったんだから、なにも皆してそう怖い顔しなくても」
周囲をなだめようとしているクリリンさんに対して、ブルマさんは苛烈に言い放った。
「この際はっきりさせようじゃない。考えてみればおかしかったのよね。テレビ一緒に見てても動揺すらしないのよ? 孫くんが戦ってても悟飯くんが苦しんでても黙ったままだしさ。もしかして最初から知ってたんじゃないの」
指摘にぞわっと背中がざわめく。
話してもいないのに、すべて暴かれそうだ。
「それでも、僕は信じます。だから――」
悟飯さんが放った言葉に胸がずどんと重くなり、苦しくなって、耐えられなくなる。
それはトランクスさんも一緒だったらしい。
「やめて、ください」
トランクスさんは搾り出すように言葉を吐き出した。
痛みはそんなに早く引くものじゃない。
覗き込めば、視線がかち合った。
言え、と。話してしまえと青い瞳が言っている。
その睨むような眼に、思わず逸らすと悟飯さんの姿が目に入った。
いつの間にか振り返っていた悟飯さんの顔――瞳は黒かった。
前のような透き通った青さはない。
しかしそのまっすぐな視線は絡むごとに心が痛んだ。
「さっさと話せ。内容によってはただでは置かん」
実質の死刑宣告だった。
よほど恐ろしい顔をしているのだろうとピッコロさんに視線を向けると、体がすくんだ。
睨みつけられたほうが反発心がわいただろう。
しかし黒い瞳はただ私を見すえていた。
その視線には抗えないほどの威圧感があった。
神々しいとでもいえばいいのだろうか。
前世で見た修学旅行のお寺。そこに仰々しく飾っていた数々の仏像。
それらすべてに睨まれているような恐ろしさを感じて、私の体は勝手に頭を垂れていた。
とてもじゃないが目を合わせていられなかった。
相手は神だった者だ。
浅はかな私の考えなんてお見通しなのかもしれない。
いいや、今まさに心を読んでいるのかもしれない。
一気に口の中がカラカラに乾いた。
「サーヤ、ぐっ!」
「ちょ! サーヤちゃん!?」
「頭を上げて!」
あわてる声はトランクスさんとクリリンさんだ。悟飯さんは駆け寄り身を起こそうとしてくる。
それを振りほどき、私は床に頭を擦りつけた。
湧きもしない唾を無理やり飲み込み、何度も呼吸をしてから、私は意を決した。
「…………ピッコロさんと、ブルマさんの言うとおりです。私は、人造人間が起動してセルゲームで悟飯さんがセルを倒すまで、すべて知っていました。トランクスさんに〈お守り〉を渡したのも死ぬとわかっていたからです」
震える唇で言葉を選びつつ話すたびに、向けられる視線が鋭くなっていくのがわかる。
乾いた口は裂けてしまいそうだ。
「――やっぱりか。ようは騙してたんだろ? オレは最初から怪しいと思ってたぜ」
「たくさんの人間が犠牲になるのを知っていて黙っていたというのか!」
追い討ちをかけるようなヤムチャさんと天津飯さんの怒りを伴った声に肩は震えた。
「……結果的にはそうなります。けれどそれが自分にできる最善の方法だと思いました」
「なにいってんのよ! アンタ未来を変えにここに来たんじゃないの!? なんでなにもしないのが最善なのよ! 皆に教えたらよかったじゃない! そしたらこんなになるまで戦わなくてもよかったのに!」
ブルマさんの言葉に顔を上げざるを得なかった。
見据えた先の視線が鋭い刃のような恨みがましいものでも、私はそれに視線を合わせた。
「私は未来を変えにきたわけじゃありません」
平和になるのが約束されているのに、なんでわざわざ変えなきゃならない?
「私は、私の目的は、悟空さんが死んでしまう前にナメック星の場所を知ることと、トランクスさんを人造人間よりも強くすることだけです」
言い切ると、地の底から発しているような声が聞こえた。
「悟空が死ぬ前にだと……! 貴様まさか悟空が二度と生き返らないと知った上でそんなことを……! 最初から見殺しにするつもりだったのか!」
ピッコロさんに改めて言葉にされると、『黙っていなければならないこと』からの罪の意識で腹の底が重くなって動けなくなった。
でも頭の片隅では『そのうち生き返るんだからいいじゃん』と前世の私が反論している。
それを言うことはできない。
私は落ち着くために深く息を吸った。
「悟空さんを見殺しにしたというのなら俺も同じです。俺も知っていましたから」
思ってもいないところから想像もしてなかった言葉が掛けられた。
隣のトランクスさんは顔を険しく歪めつつ、ピッコロさんを見つめていた。
ピッコロさんは苦々しく「やはりか!」と吐き捨てた。
「ち、違います! トランクスさんは悟空さんがどうなって死ぬかまでは知らなかった! 教えてないんです! だからトランクスさんはなにも悪くありません!」
「でも死ぬことは知っていた。それを悟空さんに伝えようとはしませんでした。それは俺の意思です」
「お前ら……」とクリリンさんの咎めるような呟きが耳を刺す。
「サーヤよ、お前は未来がわかると言っていたな。悟空が死んだ後なんて言ったかはわかるのか。お前にがんばれと伝えろと! 未来の平和を願っていたのだぞ! それを――お前らは!」
ピッコロさんの怒号で頭に浮かんだのはセルゲームの時の悟空さんだ。
目が合ったとき微笑まれたその顔で頭の中がいっぱいになる。
泣くな。
自分が泣くのは違うだろうと懸命に堪えた。
泣きたいのは家族を亡くしたチチさんだ。
でも自然と目の淵には水がたまる。
「泣くぐらいならナメック星に飛んで、ドラゴンボールで孫くん生き返らせてきなさいよ!」
「あ、そっか! 行けるんだもんな!」
クリリンさんの弾んだ声に淡々と返す。
「行き、ません……悟空さんは生き返らせません」
そんなことしたら無駄になってしまうだろう。
「な、なんでよ……行きなさいよ! アンタはなんでも知ってるかもしれないけど、知ってて黙ってるのが罪だって理解してないわけ!? 自分の手のひらで転がして楽しかった!? 生き返らせて孫くんに謝りなさいよ!」
体が震えた。
塞ぎたくなるほど耳が痛くなる言葉だ。思わず俯いて歯を食いしばった。
「母さん! やめてください……できないんですよ!」
「なによ! アンタだってなんで言いなりになってんのよ! ばか! そんな子に育てるつもりなんてないわよ!!」
かさりと衣擦れの音がした。
悟飯さんの靴が見える。
「どうして、お父さんは死ななきゃならなかったんですか?」
辺りはしんと静まり返っていた。
空に吹き荒れる風すらも不思議なくらい大人しい。
それこそ小さい呟きが耳に入るほど、凪いでいる。
「知っていたなら僕は……すぐにとどめを刺したのに」
悟飯さんは悲しげに眉を下げて儚げに見えた。
後悔しているんだろう。
心臓がその様子に締め付けられた。
そして意志に関係なく弁明をしようと口は開いた。それを理性で引き結びとめる。
幾度となく繰り返されるそれにピッコロさんは業を煮やした。
「ここまで話して黙んまりか!」
唇を噛んで堪えていると肩に重みを感じた。
「サーヤ、もう話しましょう。そうでないと皆納得しない」
「でも……私は本当に、……本当に、責任なんて取れませんよ」
トランクスさんの手が、肩に置かれた。
「なに?」というピッコロさんの問いには答えず、私は涙を拭いて向き合った。
「話すのは簡単なんです。でも、知ってしまったら絶対未来は変ってしまいます。だって、生き返るってわかっていても、死にたくはないでしょう。死なないように行動してしまうはずです。それがつまり変ってしまうってことで……。この世界は平和になるんです。それを、皆さんが壊すんですか?」
「なんだと……?」
「サーヤ! なんてことを!」
トランクスさんが強く肩を掴んだ。
その痛さに思わず顔を顰めたが、私はかまわず言い放った。
「だってそうじゃないですか! トランクスさんが来て話したからこの未来は私たちの未来からはずれて、平和になったんですよ? わ、私がその先の未来を話したら……逆になるかもしれないじゃないですか!」
「……それって」
半ば叫ぶように言うと、悟飯さんがぼそりと呟いた。
「つまり、俺たちが未来を知ることで平和が脅かされるかもしれないということか」
天津飯さんの言葉に頷くと、ヤムチャさんが頭をかきながら飄々としたふうに言い放つ。
「変んないかもしれないじゃないか。そんな悲壮になるくらいのことか?」
私はその言葉を伝えた唇を睨んだ。
「……知らないからいえるんですよ」
荒れ果てた道も、人の気配がしない町も、真っ暗な夜も、瓦礫の山も、消えていく気配も。
知らないから、わからないだけだ。
ヤムチャさんは口をぎゅっと引き締めて黙った。
「すべては憶測にしか過ぎん。かもしれない、などと不確定なことをいつまでも話しているわけにもいくまい」
「その通りです。本当はピッコロさんにだけ話そうと二人で決めていたんですが……混乱させてしまってすみません。――サーヤ」
ピッコロさんの低い声に、トランクスさんの声が続く。
名前を呼ばれても、私はそのまま口を閉ざした。
私はもうこの世界がどうなってもいいとは考えてなかった。
できうる限り本来の歴史のまま未来に向かって欲しい。
望むのはそれだけなのに、なんで知りたがるんだ。
この世界は私の知っている通りの道筋を辿った。
すべてを話していたらたどり着けなかった『今』だ。
それが答えなのに。
俯いていると、あたりはしんと静まり返った。
「悟飯」
ピッコロさんが名前を呼ぶと、弾かれたような返事が聞こえる。
「――お前が決めろ」
その言葉に私は顔を上げた。
「え? ぼ、僕が……?」
「そうだ。そいつはずいぶん先まで知っているようだ。本当かどうかは知らんがな。未来を知るか否か。どちらでも構わん」
「おい、ピッコロ! とりあえずお前が聞いたらいいじゃないか! そうすれば!」
クリリンさんの問いかけに、ピッコロさんは目を伏せた。
「この地球を守ったのは悟飯だ。これからの未来もそうだろう。だから悟飯、お前が決めろ」
ざわめく周囲の言葉は騒音に感じるだけで耳に入らない。
悟飯さんはゆっくりと向き直り、私を見つめる。
私もまっすぐに悟飯さんを見た。
困惑気な瞳は一瞬伏せられた。
そしてゆっくりと瞼が上がると、その瞳は決意を感じさせる揺るぎようがない光を点している。
「知りたい……どんなことでもいい。あなたが知っていることを、すべて知りたい。それで平和が脅かされるなら――」
意志のある瞳はまっすぐ私を見つめ返し、決して逸らしはしなかった。
「僕が取り戻します」
その視線に射抜かれた私は、ゆっくりと辺りを見回した。
皆、目が合うと言えといわんばかりに頷いたり、顎をしゃくったりしている。
私は往生際悪く、ゆるゆると頭を振った。
けれど、肩を掴んだままの大きな手が、許さないといわんばかりに強く強く私の肩を圧迫する。
――わかりました。
結局私は、そう答えた。
