第三部 魔人編
第一章 Happy Spring Day
112 歩けますので!
食べたら頑張ろう――そんな言葉をかけたトランクスさんは、メタルラックが空になったころ私の両方の手をとった。
困惑する私をよそに後向きで歩き出した。
「無理……」
脚はガクガク、腕はプルプル、5歩歩いて息切れし、相槌で咳が入る。
当たり前だ。さっきまで部屋の中を這いずってひいひい言っていたのだから。
もう床に転がって休みたい。
手を離せばそれが叶う。でもトランクスさんの手は力が強くてびくともしない。石像か? 手が抜けなくなるヤツが前世であったような……。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃな……ゴホッ! 足がもう……」
「もう少しで着くので」
いわゆるリハビリなのだというのは教えられなくてもわかる。
しかしトランクスさんは適当な物言いで隣の部屋まで歩かせやがったのだ。この鬼め。
私、頑張ることに同意してないんだけどなっ!
子鹿の脚でなんとか隣の部屋までたどり着くと、丸いハイチェアに座らさせられて今製作途中の物を見せられた。
筒状のものからコードがたくさん出ているよくわからない物体。
「これから肉付けして服を作ろうと思ってます」と、トランクスさんが細かく説明してくれたが、生まれたての子鹿に説明しても覚えられるわけがない。
私はトランクスさんの部屋にいたシロを抱きつつ、はいはいと相槌を打ち、時折咳で返事をすることで時間を消費した。
その後疲れたのか昼寝をむさぼり、気がつけば夕方になり。
なんだかんだと夜になれば、教えてもらった通り双子が帰ってくる気配がした。
「お! やっと起きたのかよ~!」
「起きられるのサーヤ!」
目が合った瞬間二人は驚いたような顔になって、駆け寄ってくる。
すっごい物申したい。
私はわざとらしく咳ばらいをした後、二人に向かってちょっと強めに言った。
「なんで私をトランクスさんやブルマさんに押し付けたのかなあ?」
本当納得いかないんだよね。特にトーガ!
私の眼はジト目になってると思う。
「え~? だってさあ」
トーガは口をとがらせて不満そうな顔をしてる。
「だってさあ、じゃない! なんで姉ほっぽってゴホッゴホッ! どっか行くのさ! ゴホッ!」
いくら看護に飽きたからってな! 姉を見捨てるなよ! めちゃくちゃ悲しいだろ!
今日起こった数々の痴態を思い出し、私の頬は膨れた。
「しょうがないよ。トラ兄がやっちゃうんだもん。ご飯食べさせるのだってトイレに連れて行くのだってぜーんぶだよ」
結構頭に来てたのに、ベッドに座ったチルが聞き捨てならないことを言ったから私の頬は萎んだ。
「チルがトイレ連れてってくれたんじゃないの!?」
「宇宙船にいた時はそうだけど、こっちに移ってからはトラ兄のほうが早いんだもん」
聞いてた話と違うんですけど!?
唖然とする私をよそに、トーガが横から割り込んできた。
「オレだってちゃんとやった! トイレも連れてったし! ほかはなんか……いろいろ!」
「ゲホッ! うっそだ!」
「うそじゃねーよ!」
「だってトランクスさんが、トーガは飽きて飛んでったって言ってゴホッ!」
トーガはあさっての方向を見た。
「それは本当」
このヤロー。
私はトーガの頭の上に〈氷礫〉を落とした。
するとちょうどおでこにあたったのかそこを押さえたトーガが涙目で訴える。
「途中まではやってたもん!」
信じられない。
そんな目で見てたらトーガがむくれた。
「トランクスが全部やるから暇になったんだよっ!! それにアイツいちいちうるっせーしっ! だからもうヤダっ!」
「ブルマさんも手伝ってくれるし、もう身体拭くのと着替えくらいしかやることなかったよ。そんなに怒んないでほしい」
トーガとチルの訴えに私は顔をしかめた。
「アイツ、サーヤがベッドから落ちただけで来るんだぜ?」
「咳き込んだら飲み物飲ませたりね」
「夜中にもトイレ連れてくしー」
「吐いちゃったときも早かったなー」
「……ゴホッ」
顔をしかめすぎて頭も痛くなってきた。
「仲良いんだからこれからも世話してもらえばぁ?」
トーガが首を斜めに傾けダルそうに言った。
なんてことを言うんだ。
「仲よくない!」
「うっそだ~!」と双子は口を揃える。
「うそじゃな、ゴホッ! ゴホゴホッ!」
大きな声を出したら咳き込んでしまって、それが結構続いてしまう。
一息つくと「大丈夫?」とトランクスさんの声が聞こえ、目の前にはタンブラーが現れた。
顔をあげて確認すればトランクスさんはいつも通りの顔。視線を逸らせばその先に双子の顔があった。
二人とも『ほーらな』とでもいいそうな顔をしていた。
「違っ! ゲホッちがっもん! ゴハッ! ゴホゴホッ!!」
仲よくないもん!!
そう言いたかったのにトランクスさんは背中を摩るし、私の咳は止まらない。
訂正したい! このままでは私とトランクスさんがとっても仲が良いという印象を否定できないままになってしまう!
しかし本人がいる前で仲良くないなどと言える勇気も持ち合わせておらず、イラつきながらタンブラーに口を付けた。
+ + + + + + + + + + +
「……腕、上がらないの……?」
頭を洗おうとしたときの私の姿を見たチルの呟きが浴室に響いた。
ここはカプセルハウスのバスルームだ。あのあとチルに連れられて一緒にお風呂に入ることになったのだ。
宇宙船のより広くて、二人なら余裕で浴槽に浸かることができる。
しかし、この子鹿状態の私では湯船に入るほど足が上がらず、体力を無駄に消耗しそうだったのでシャワーを浴びていた。
四日ぶりの風呂なので気分が上がってたんだけど、まず頭の位置に手が上がらない。
わかってたけど座っているのがやっとだった。
「くっ……」
「無理だよ。てっぺんまで届いてないもん。座ってて」
ザバァッと音を立てて立ち上がったチルは、私の頭を洗い始めた。
「痛いところないー? かゆいところはー?」と言いながら小さい手でワシワシ洗ってくれる。
チルは優しい。トーガであればこうはいかない。まず髪の毛がちぎれる。
「シャワーかけるよー」という声に返事をすると、頭の真上からお湯が流れてきた。
その後背中も洗ってもらって最後は自分でできる範囲を洗っていたところ、チルが「ねえ」と隣にしゃがみこんだ。
「身体、ほんとうにだいじょうぶなの?」
心配そうに見上げて来るチルに「筋肉痛らしいから数日すれば治るよたぶん」と返しても表情は変わらない。
「でも羽の色、変わってるよ……?」
「えっ!? 羽!?」
「うん。ビョーキじゃないの……?」
鏡!
ビタッと目の前の鏡に張り付くが、どう頑張って動いても真後ろにある羽は見えない。
「……何色になってる……?」
「白っぽいよ。熱下がったら元に戻るのかなって思ってたけど」
鏡に張り付いたまま問えば、背中側に移動したチルが答えた。
しくじった。過去でずっと首隠してたから全然気にしてなかった。
「ゴホッ、白は病気じゃないんだよね……」
「ビョーキじゃないの!? だっていままで黒かったよね?」
うーん。なんて言えばいいかなあ。
「あのね、セーリヤ人の女は大人になると羽の色が抜けるの」
「抜ける?」
「白くなるんだよ」
上目づかいで首を傾げるチルはかわいい。
「女だけ? 男は?」
「男は変わんないねゴホッ」
「そうなの?」
チルは大きい目をまん丸にしてぱちぱちと瞬かせた。
マイルドな表現にしたけど、ようは妊娠できるようになった証だ。
初潮から徐々に元の色が薄くなって、生理が安定すればほぼ真っ白な羽になるはず。
精神と時の部屋にいるときの途中から始まったから、もうそこそこ色が抜けてるかもしれない。
最後に確認したのは――確かピッコロさん来襲後だ。
身長が伸びたせいかチョーカーが微妙に小さくなってしまって、コツをつかむために何回も巻いた記憶がある。
その際羽がはみ出てないか用心深く確認してたけど、今やもう、手の感触で羽が出てるかどうかわかるようになったから、見てもいない。
ぶっちゃけると不規則な生理のほうに気を取られていて羽のことなんかさっぱり忘れてたというか、現代に帰ってきて気が抜けてたというか……。
私は恐る恐るチルに聞いた。
「ねえ、羽の色が変わったこと、みんな知ってる……?」
「みんな? ブルマさんには話したよ。びっくりしたから」
なるほど。
ブルマさんは知ってると。
なんか言われるまでは黙っておこうかな。聞かれたら話す的な感じで……。
「他の人は? 話してない?」
気になってしつこく聞いたらチルの顔が曇った。
「もしかして、知られたらダメだったの?」
「ゴホッ、駄目ってわけではないんだけど、ちょっと……恥ずかしいなって……思って」
「恥ずかしいことなの!?」
「……まあ……ちょこっと……」
恥ずかしいか恥ずかしくないかと聞かれたら恥ずかしいに決まっている。
生理始まったってブルマさんに知られるのもちょっと恥ずかしいのに。
なんなんだろうな。他人がそうなったら気にしないのに自分だとやけに気になる。
「うーん……首の布はわたし変えてたけど、トーガはやってないから知らないと思う。トラ兄はわかんないや」
チルは言うなり湯船にダイブして「でもビョーキじゃなくてよかった~」と天を仰いで笑っている。
「あ、トランクスさんとは仲良くないから」
トランクスさんの名前が出たことを口実にして訂正すれば、表情ががらりと変わってチルは半眼になった。
「さっきから仲良くないってずっと言ってるけど、なんでそんなに言うの? 仲良いのは悪いことなの? 違うでしょ! トラ兄はね、トーガがサーヤ運ぶとき、いろんなところにぶつけてケガさせるから手伝ってくれるようになったんだよ。そんなに言ったらトラ兄かわいそうだよ。つきっきりでお世話してくれたし、ご飯だって火傷しないようにちゃんと冷ますし――」
勢いがすごくて私の口は貝になった。
身体についた泡を流している間、チルはいかにトランクスさんが甲斐甲斐しく世話してくれたのかを話続けている。
わかったと言っても終わらないBGM。
藪蛇だった……。後悔しながらさっさとシャワーを終えた。
先にお風呂から上がり、ヒイヒイいいながら着替え、プルプルした腕で首に布を巻いた。
隠す必要ないけど、『子どもが作れるようになりました!』って看板背負ってる気分になるからスゲー嫌なんだよな……。地球人みたいにパッと見てわからなかったらよかったのに。
そういえば、寝込む前までしてたはずのチョーカーはどこに行ったんだろう?
あとでチルに聞いとかないと。
考えつつ壁伝いに子鹿歩きしていたらトランクスさんに遭遇した。
「どうして拭いてないんだ!」
私がなにか言う前に、頭を肩にかけていたタオルでもみくちゃにされ、眼鏡は落ち、それを握りしめたまま部屋に運ばれ……まではまだ納得できたけど、その後ご丁寧に櫛で梳かされ、ドライヤーで乾かされた。
それだけでなく寝る前にトイレに行かされたり、夜中も起こされてトイレに運ばれた。断ったのに。
ちなみに双子はまったく起きてくれなかった。ドナドナ……。
なんなんだ。
なんでそこまで甲斐甲斐しく世話してくれるんだ。
まったく意味がわからないし、どうしたら元に戻るんだ。
スマホがあったら検索してると思う。
『人間関係 元に戻す 方法』とかで。
私は今後どうしたらいいんだ。
「サーヤ、起きてる?」
「起きてますう!!」
勢いよくしゃべったらゲホァッとまた血を吐くような咳が出た。
だから! 外で待ってるとか!! 音姫ないんだからさああ!!!!
私はトイレから戻るとき、トランクスさんに抱えられながら誓った。
物理的に離れるためにこの筋肉痛、意地でもさっさと治してやる──と。
翌日起きてまずしたことは卵を茹でることである。
筋肉を作るのも治すのもタンパク質が重要だ。
食えばいいんだろ!?と、ゆで卵を食べるようにした。
茹でるのはトランクスさんがやってくれた。ますます頭が上がらなくなってしまったが仕方がない。
双子が朝っぱらからいなくなりやがるんだもの……!
そして建物内を歩いて身体を慣れさせようとした。が、二足歩行が厳しかったのでシロを背に乗せ部屋を這いつくばるところから始めた。
部屋内をほふく前進できるようになり、四つん這いで歩けるようになり……数日後、やっとゆっくり歩けるようになった。
咳も収まり、頭のてっぺんまで手が届き、ベッドから落ちても泣かなくなって私は笑顔でトランクスさんとお話した。
「もう運んでくれなくても結構です。歩けますので。……トイレまで歩けますので!!」
私はもう、姫抱っこされたくない! アメフトボールのように小脇に抱えられるのもゴメンだ!
確固たる意志をこめて言ったのに、『そんなちんたら歩いて間に合うのか?』的な感じの怪訝そうな顔をされてしまったので強く念を押した。
結果、チラチラ視線は送ってくるものの手は出さないようになった。
