第三部 魔人編
第一章 Happy Spring Day
Trunks side きょうだい〈前〉
目覚めて目にしたのは、シミ一つない綺麗な天井。
……今日、帰るんだっけ。
しばらくぼんやりと眺めて、頭の中で再生された記憶はタイムマシンに乗っていた記憶。
それから次々と場面が切り替わり、最終的に人造人間とセル、サーヤを思い出す。
黒髪が金髪に変わって、血が――はっとした。
――礼を言ってない!
人造人間を倒し、地球人を生き返らせ、地下の人間を救出した昨日は、疲れすぎてそのまま寝たんだった。
とてもじゃないが礼なんて言ってる暇なんかなかった。
サーヤとチルは傷だらけになってまで、トーガは死ぬまで戦ってくれた。
そんな三人に俺はまだ感謝の言葉を伝えていない。
地球に来てくれてありがとうって、それだけでも言いたい。
飛び起きて身支度を整えると、部屋の重いドアをこじ開けた。
冬らしい薄暗い廊下のあちこちではロボットが置物になってて物音ひとつしない。
吐いた息はまるで外にいるみたいに白くなった。
エレベーターも自動ドアも動かない。
過去のCCと同じように綺麗なのに、動かないだけで廃墟みたいだ。
勝手知ったる窮屈な場所ではないし、過去のような居心地のいい場所でもない。
知ってるようで知らない場所、そんなちぐはぐな感覚が沸き起こる。どことなく面白さを感じながら地下へ急いだ。
増築した部屋に差し掛かり、宇宙船が見えた。
ドアは全開、奥で足が浮いている。……トーガだ。
「んん? ……あれ?」と上を見ながらなにか引っ張っている。
……なにをしてるんだ?
「んーしょっ」というかけ声のあとに、上から塊が落ちてきた。
トーガは塊を掴んだが、毛布だったようだ。まるで皮が剥けるようにずるりと中身が出てくる。
――サーヤだった。
「あっ!」
咄嗟に俺は床を蹴る。しかし、たどり着く前にサーヤの足をトーガが掴んだ。
サーヤは振り子のように揺れ、梯子にぶつかる。
響いた痛そうな音に言葉を失った。
「やっべえ……やっちまった……?」
トーガは力なくぶら下がったサーヤの足首を持ち上げて覗き込もうとするが……扱いが、あまりにも雑じゃないか?
「なにやってるんだ!」
「え? トランクス?」
梯子に足を引っ掛け、下からサーヤを抱え上げると腕の中でうめき声が上がる。
勢いよくぶつかったんだ。痛くないわけがない。
覗き込めば、顔が真っ赤だった。苦しそうに眉は歪み、顔は涙で濡れ、身体は小刻みに震えている。
「サーヤ、大丈――熱い!?」
打った部分どころか額も熱い。
「どういうことだ……?」
「熱だしたんだよー」
悪びれなくいうトーガに呆れる。
あれが熱を出した病人の扱いか?
「こんな状態のサーヤを落とすな!」
「わざとじゃない! トイレ行くっていうから降ろそうとしたの!」
「力任せに引っ張ってただろう!」
「引っかかったんだよっ! でかくなったんだからしょーがないじゃん!」
「『しょーがない』じゃない! もっと丁寧に扱え!」
言い合っていると、奥のドアが開く。
現れたのは目を吊り上げたチルだった。
「まず先にサーヤをトイレに行かせてあげてよ!」
ハッとして急いでトイレに運ぶと、サーヤはよろめきながらドアを閉めた。
……大丈夫だろうか。今にも倒れそうだったんだが。
「トラ兄はなんの用なの? 今日来るのすごく早いね」
トイレのドアを見ていたら、バケツを持ったチルに声をかけられた。
「サーヤ熱出したからご飯ないよ」
「そーそー。当分飯作れねーから」
続けて言ったトーガはキッチンへと消えた。
とてもじゃないが礼を言うような空気じゃない。
「特に、用はないんだけど……」
答えを濁すとチルが怪訝そうな顔をする。
――今まで用もなく宇宙船に入ったことはないからな……。
前、サーヤが寝込んだ時もトーガは同じことを言った。
俺はその間、宇宙船に近づかなかった。
出会ったばかりだったし、用もない。声すらかけなかった。
母さんが双子によく声をかけるから、経由でサーヤが熱で寝込んだこと、そのせいであまり食べないこと、動けないから当分宇宙船から出ないことを知ったくらいだ。
そんな俺が、心配してると言って――信じてくれるだろうか。
「……それよりサーヤは大丈夫なのか? 熱がかなり高いようだったけど」
ぶつけた場所もだが熱も気になる。
チルは目を瞬かせると一瞬俯いた。
「えっと、熱はいつもだから。それよりどこぶつけたの?」
見たまま起こったことを伝えると、チルは「困ったなあ」と言いながら水を汲み始めた。
「熱が出てるとサーヤ、食べても吐いちゃうんだよね」
同時期に「チルー、肉用の〈かばん〉知らん?」とトーガが扉から顔を出した。
「あれ、まだいたの?」
続いた何気ない問いかけに、なにも返せなかった。
トイレからサーヤを抱きしめる形で出てきたチルは、まっすぐに上へ登って行く。
俺はさっきのチルの言葉が気になり、ついて行くことにした。
大人だと一人しか通れないような狭い出入り口がぽっかり開いている。
そこに向かって「入ってもいいか?」と声をかけた。
「――じゃあ下にあるバケツ持って来てー。水はいってるやつー」
「わかった」
壁側に小さなバケツが置いてある。
運ぶと思っていた以上に喜ばれた。
「ありがとう! 私だとこぼしちゃうから助かったよー。――あ、靴はそこで脱いでね」
他意のなさそうな笑顔でチルが指をさしたのは部屋の外。少し下がった場所に小さな靴が置いてある。
そこに自分の靴も並べ、梯子に手をかけた。
登った先は、ドーム状のやけに天井が低い部屋だ。
隅にはひしゃげた箱があり、真ん中にサーヤが横たわっている。
壁には落書きや凹んでるところが多かった。
「トラ兄、ちょっと手伝ってほしいな。――お願い」
「――え? あ、ああ」
俺を伺うようにチルが見せたのは瓶だ。
中身はソタ豆をすり潰したもので飲ませたいのだという。
頷いたものの、内心では驚いていた。
そんな控えめな『お願い』なんて、されたことはなかったからだ。
出会った時からチルは明らかに俺を嫌っていた。
サーヤやトーガがいれば大人しかったが、そうでなければ睨まれた。
お菓子を食べるときにかち合えば憮然とした態度を隠そうともしない。
それまでチルの取り分だったものが減ったから、単純に気に入らなかっただろうなと推測はできた。
間食で虫を食べたときは侮蔑的な態度を取られることもあったが気にしなかった。
和らいだのはサーヤに氷漬けにされてからだったけど、正直どうでもよくて。
その頃は、過去へ行くことばかり考えてて余裕がなかった。
――なぜ変わったんだろう。
今は普通の……母さんに向けるような態度と同じような気がする。
「どうしたの?」
「――いや、なんでもない」
動揺を誤魔化すように俺は身を乗り出して寝室に入った。
立って歩くことができないから四つん這いになって進むと、ある箇所から床が柔らかくなる。――マットのようだ。
途中思った以上に沈み込んだ場所があり手を取られた。
「なんでこんなにへこんでるんだ?」
「そこはトーガが寝ぼけて踏んだところ。あっちも、あれもかな。壁もだよ」
「寝相、悪いな」
「よく蹴られるの。痛いんだよー」
「……」
サーヤの傍にたどり着くと荒い息の音が聞こえた。抱き起し髪を寄せる。
常夜灯の明かりでぼんやりと照らされる顔はずいぶん苦しげだ。
こんな表情は今まで見たことがない。
「寝込むときはいつもこうなのか?」
「こうって?」と言いながらチルはハンカチのような布を広げた。
濁した部分を指摘されて、どう返せばいいかわからなくなる。
「……苦しそうだ」
「熱が出てるしね」
ハンカチをサーヤの胸元に置いて、チルは瓶の中身をスプーンで飲ませ始めた。
「熱は――」
「待って話しかけないで大変だから」
俺は口を噤んで、真剣な顔つきでスプーンを運ぶチルを手伝うことにした。
慎重に飲ませたものの、一度目は咳き込んだ。二度目は咳き込まなかったが、三度目で吐いた。
量から察するに、あまり飲み込めていないようだ。
もう一度飲ませたほうがいい。
指摘したが、チルは首を横に振った。
「吐いちゃったから、また次も同じだよ」
あきらめの早さにムッとする。
「無理やりでも飲ませないと良くならない」
「もう少し経ってからまた飲ませてみる。何回もだと苦しがってかわいそう」
可哀想?
この状態のほうが可哀想だろう!
「こんなに熱も高いじゃないか! 早く治さないと!」
「? 熱にはソタ豆効かないよ?」
――聞き間違いだろうか。
「効かない?」
「うん。これは頭のたんこぶを治すためだよ。ちょっとでも飲みこんでればいいんだけど」
汚れたハンカチを取り外したチルは嘘をついているようには見えなかった。
てっきりソタ豆で治すものだと思っていたのに。
チルは『熱ではなく外傷を治す』ためにすり潰したソタ豆を与えようとしていた。
「効かない、のに――毎回、こんな高熱を……?」
サーヤの息は荒い。
温度を確かめようと額、頬と触ると嫌がるように身を捩り震える。
「いつもはここまで上がんないよ。今回は今までで一番ひどいかも。……全然起きないもん」
――超サイヤ人に、なったからか?
サーヤの超サイヤ人化は俺たちとは違う。
その時の姿を思い出し、奥歯を噛んだ。
「神殿に、行ってくる」
俺の言葉に、チルは目を瞬かせた。
+ + + + + + + + + + +
「――トランクス? こんなところでなにしてるの?」
CCの地下を歩いていると、母さんと出くわした。
「えっと」
「それ、スキャンモジュール?」
「こんなの何に使うのよ?」と俺が手に持っているものを覗き込む。
特に隠してるわけじゃないから正直に話すことにした。
サーヤが高熱を出し、梯子に頭をぶつけたこと。
すり潰したソタ豆を吐き出すこと。
そして、デンデさんに診てもらったが高熱は治せなかったこと。
話進めるごとに母さんの顔が険しくなっていく。
「ソタ豆も効かない上にデンデも治せない高熱? 大丈夫なの?」
「特に病気じゃないらしいです。原因は、わからないって……」
「困ったわね」と母さんが顔を顰めた。
デンデさんに頼み込んでCCまで来てもらい、診てもらった結果は表情で察せた。
『疲労が溜まりすぎている以外にないんです。筋肉が消耗して炎症になっていますが、そこまでひどくもありません。熱が出たとしても、ここまで高くなるはずが――』
『力になれず、ごめんなさい』と俯いたデンデさんに、それ以上無理は言えなかった。
「それで、スキャンモジュール?」
小さく頷いた。
本当は看護用ロボットが起動できればそれでよかった。
でもエネルギーが足りない。CCですら燃料が足りていないし、吹雪で太陽光も厳しい。
「これだけだったら電池でもいけそうだし、経過観察だけでもと思って」
「そうね……。なら呼出し機能もつけたら? その方が双子も楽になるでしょ」
曇っていた表情をパッと変えた母さんは「こっちこっち」と言いながら歩き出した。
案内された倉庫には壁から床まで部品が並んでいた。
ポルンガによって修復されたとはいえ、自分の家だとは思えない量だ。
その中から使えそうなものを見繕う。思っていたより簡単に作れそうだ。
母さんにも手伝って貰いながら作り進めていくと、いきなり「送って来たよー」とチルが現れた。
「びっくりした……デンデ送って来たの?」と胸を押さえる母さんにチルが「うん!」と元気に頷く。
「ありがとう。――悪いな。看病で忙しいのに」
「ううん。トーガがみてるし大丈夫」
「二人ともいい子ねー。なにか……あっ!」
いきなり母さんが走って倉庫から出て行った……と思ったらすぐに戻って来た。
「これならサーヤも食べられるんじゃない!?」
母さんが突き出してきたのは大きなバケツだ。
外側に書いてある文字はアイスクリーム。
アイスクリームってなんだっけ?
「サーヤは熱が出てると……」
「食べやすいからあげてみて! 少しでいいから!」
チルは首を横に振ったが、母さんが強気に上から迫ったものだから、困ったように眉を下げた。
「無理だったらチルとトーガで食べればいいわ。こっちは二人の分よ」
母さんはバケツをチルに持たせるとその上に大袋を乗せた。
「……これ、なに?」
「アイスクリームよ!」
「アイス? いろんな色があるけど……?」
チルは大袋を見て目を見開く。
「味が違うの。食べてみなさいな。ここちょっと寒いけど」
大袋を開けた母さんは、チルの口に棒状のアイスクリームを刺す。
途端に「もごっ! もごごっ!」とよくわからないことを言い出したチルの目はわかりやすくきらきらと輝いている。
「おいしい? ――よかったわね。まだあるから残さないで食べ切っちゃってね」
チルは大きく何度も頷いて走り出した。
「トーガとケンカしないのよー!」
半ば飛んでる背中に母さんが声をかける。
「むむー!」と返答があったのは姿が消える直前だった。
その後、ほどなくして目的のものが出来上がる。
呼び出し用のブザーも三つ。あとは実際に設置して最終調整すれば使えるはずだ。
「じゃあ私、在庫確認がてら片付けてるから」
荷物の乗った台車を押しながら歩く母さんに「うん」と返事をしたものの、その背中を見て思い出した。
「あっ! 母さん! 相談したいことがあったんだ!」
振り返った母さんに、サーヤを俺の部屋で看病したいと伝えたら、
「……なんでそうしたいと思うの?」
――上から見下すような視線を投げかけてきた。
なぜそんな高圧的になるんだ?
今サーヤが寝ている宇宙船の寝室では看病しづらい。
出入り口が狭すぎるし、天井が低くて移動にも気を使う。おまけにトーガは寝相が悪い。
そう理由を話すと、母さんの目は咎めるように細くなった。
「それで?」
「え?」
「看病は双子がするんだし、あの子たち三人の問題じゃない。三人のうち誰かひとりでも助けてとか、どうにかしてほしいとか言ってた? ――そうじゃないのになーんでアンタが口出しするのよ」
「それは心配で」
「心配で? 部屋に連れ込むつもりなの? 意識のない女の子を? ……犯罪じゃないの」
驚愕し、開いた口が『は』の形で止まった。
そんなつもりは!
ただ俺の部屋のほうが世話もしやすいと思っただけで!
腕を組んだ母さんは呆れたようにため息をついた。
「家族でもないのにすることじゃないでしょ。それとも、聞いてなかったけど彼女……恋人なの? それならまあ」
『それならまあ』……何だっていうんだ。
俺の口はさらに大きく開いた。
なぜいきなり恋人になるんだ。
考えたこともなかった。サーヤは15歳だぞ?
唖然として目の下がひきつる。
「ありえないです。妹としか思えないし」
「妹?」
そう、妹だ。
過去で祖父母から兄妹みたいだと言われてから、そしてサーヤに兄と呼ばれてから、その考えが一番しっくり当てはまってる。
「はい、それ以外は考えられません。俺の部屋がダメなら母さんの」
「そっちにいったか……」
「え?」
声が小さくてよく聞き取れなかった。
「なんでもない。でもいくら妹だと思っててもアンタの部屋には寝かせられないわー」
「いやだから、母さんの部屋で」
「あームリムリ」
寝かせて欲しいと続けたかったが遮られた。そして母さんはスタスタと歩き始める。
慌てて追いかけると、母さんはブツブツとなにか言いながらカプセルが並んでいる部屋に入っていった。
カプセルを順に指で追い、あるところで止まる。
「よし、外にカプセルハウス出そう。それで皆で住む!」
「外!?」
今年は雪が多く、いつもならほぼ必要ない除雪作業がある。外に居住場所を増やせば取り除く面積も作業時間とともに増えてしまう。
外に出るメリットが感じられない。
しかし母さんは神妙な顔で上を指差した。
「だって社員募集かけちゃったからそのうち外の人間やってくるし。私の部屋なんて上の階なんだから知らないヤツが入っていっても気づかないわよ」
「見逃すようなことはしないつもりだけど……」
「鍵かかんないからだーめ。そもそも上まで暖房入れたら燃料なんて一瞬でなくなるわ。アンタ、三人に寒いの我慢しろって言うつもり?」
一部屋だけならなんとか……無理かな……。
「作業拠点が地下なのに5階だけ暖房入れるってのも非効率すぎる。だからね、大型のカプセルハウス置いて皆で住んだほうが安全で効率的だと思うの。外なら私も5階まで歩かなくていいし」
距離であれば確かに。
母さんが主に作業する場所は地下のまま残ってる。
すべて止まっている今、休むには5階にある自室まで階段を登らなきゃならない。
行き来を考えると楽なのは外だろう。
「カプセルハウスは部屋数が多いやつにするんですか? 双子とサーヤを一緒にしたら意味がないんじゃ」
「そこでこれよ。蹴っちゃうのは狭いからだと思うのよねー。ひとりひとりベッドで寝かせれば大丈夫よ」
母さんから手渡されたカプセルには大型タイプと書いてあった。
カプセル側面の細かい文字を読むと――1階建てで面積が広い。
この大きさを暖めるとなると――。
「燃料はどうするんですか。大型だとそれなりに」
かかる、と続けようとしたら母さんはニタッと笑った。
「ちょーっと考えがあるの。だからまず設置だけしてくれる?」
悪寒がした。変なことを考えてるときの笑い方だ。
――大事になりませんように。
心の中で祈りながら鼻歌を歌う母さんの背中を見送った。
