第一部 旅編
第一章 始まり
2 肉主義
私の朝は局部を外気にさらされることで始まる。
赤ちゃんだから。オムツ取り替えないと痒くなるのだ。
慣れたら楽になるだろうか。
一時そんなふうにも考えたけど、慣れたら人として終わるのではなかろうか。
定期的にオムツを替えられ、遠い目をしながら女神のおっぱいに顔を埋める日々を過ごした。
「サーヤ。あーん」
最近、幾度も繰り返し聞こえるサーヤという単語が自分の名前だと知った。
前世と違う名前にまだ違和感があるが、こればかりは仕方がない。……違うよともいえないし。
それよりも問題は母がスプーンに乗っけているものだ。
「おいしいわよ。あーん」
前世を呼び覚ました粘土は主食だったらしく毎食出される。目覚めてから毎食である。
これほどの絶望があろうか。
美味しかったらそりゃ食べるさ。しかし一度食べれば口内地獄。食べなくてもおっぱいで羞恥地獄。
できることならどっちも遠慮したい。
しかし本能がまだ勝つ赤ちゃんの体は、意思に反しておっぱいに吸い付く。
これはどうにもできない。
なので私はスプーンに乗って侵略しに来る黄土色の悪魔を、口を真一文字に閉めぶんぶんと頭を振り回し門前払いしている。
「いや!! ローア! ロンア!」
ある程度口が回るようになって来た私は必死にスプーンから逃げ回り、たまねぎに手を伸ばした。
ローアとしかいえないが、正確にはロンナだ。
たまねぎのような形状で中身がみかん、味はメロンな果物である。
あの黄土色のものを食べるくらいならなにも食べない。
そういうスタンスで私はもっぱらロンナを食している。
そのほかにも果物があるが、比較的いつでも手に入るらしいロンナ以外の果物が家にあることは少ない。ここで言うロンナは日本で言うバナナのようなものなのだ。
「もう。ロンナばかり食べていると虫歯になるでしょう」
「みあく! ローア!」
歯は大事。それはわかる。
だからどんなに母が磨くのヘタで痛くても我慢して耐えてるじゃないか! だからロンナをくれ!
しょうがないわね、と言って母はロンナの皮をめくった。
「サーヤ、ごはんは? あーん」
嬉々としてロンナを口に入れるが、母はまだめげないらしい。スプーンを持って困ったように眉毛を下げ首を傾げる。
……そんなかわいい顔したって食べないよ。クソまずいもん。
ロンナがあればあとはいらない!
「好き嫌いが激しいわねえ……誰に似たのかしら」
……違うよ。その黄土色の粘土がまずいんですよ。
なんで気づかないかな。毎回いやだって言ってるじゃないか。
この女神も同じのを食べているのだが、粘土美味しいとかこの人味覚おかしい。
ロンナの房を掴んでいる己の手を見てしみじみと思う。
早く大人になりたい……。
もっと手足が長くなれば自分で作って食べるのに。
むしぃと薄皮を前歯で引きちぎって憂さを晴らすことしか私にはできなかった。
「……あら、おかえりなさい」
最後の房に口つけた頃、父が帰ってきた。
もうね、空を飛んでるのがデフォだから飛んで家に入ってきても気にならない。慣れってこわい。
むしろ私も飛べるんじゃない? もうちょっと意思の疎通ができるようになったらぜひ教えて欲しい。
父は大きめの袋を持っていて、それをどすっとテーブルの上に置いた。
袋の口が緩かったらしい。ころんと中の物がこぼれ、たまねぎが中から顔を出す。
父がロンナを持ってきてくれた! これであの粘土を食べなくても済む!
もうそれだけで好感度マックスである。
「ぱぱ、ロンアあーあと!」
心のそこから感謝の気持ちを込めて言うと、父の目が細まった。
しかし返事はなく、そのまま外へ出て行ってしまう。
「珍しい……」
ぼそりという母の言葉よりも、父が残して行ってくれた果物のほうが気になって私は懸命に手を伸ばした。
やっと袋のヒモに手が届いて引っ張るが、重くてとてもじゃないが引き寄せられない。
母がやれやれと中身を改めるように袋から出すと、すべて食べ物だった。
見たこともない果物のほかに葉っぱにくるまれた魚や肉の塊が入っていた。
うおおお! 魚だ! 肉だ! あるんじゃん! それが食べたい!
初めて果物以外の美味しそうなものを見てテンションマックスになった私は母に向かって催促した。
できる限りの発音を駆使して肉が食べたいと訴え、その甲斐あって肉を焼いて貰ったのだが……
「どうしたの? 食べたかったのでしょう?」
……食べたかったのは丸焦げになっている肉じゃないやい。
途中までは良かった。
食べやすいように切りましょうねーとニコニコしながら肉を切り焼いてくれた。
でも出てきたのは真っ黒な肉。
目の前の女神様は笑顔で食物を炭に変えたのだ。
肺は肉が焼けるいい匂いでいっぱい、口の中は待ち焦がれるよだれで海になってるのに。
私はショックのあまり呆然とし、号泣した。
いや、慟哭と言えるだろう。
泣いて泣いて泣き続けるほどに声は大きくなり、あんまりうるさかったのかとうとう父が戻ってきた。
「うるさい黙れ!」と怒られても、私は泣いた。肉を指差しながら。
だってお肉だぞ!? 夢にまで見たお肉!! それが炭に!!!! 私の肉がー!!!!
母に抱えられ「おっぱい飲む? 飲もう?」といわれても首を振り拒否。
抗議の意味を込めてばしばしおっぱいを叩いていると、ふわわんと香ばしい匂いが漂ってきた。
「食え!」
バン!とテーブルを叩きつけたような音をさせながら目の前に現れたのは、ちょうどよさそうにこんがり焼かれた肉。
私は歓喜のあまり叫んだ。これが叫ばずにいられようか!
「熱そうね……生だわ!」
「火は通ってる!」
「でも中が!」
両親の言い合う言葉など、もはやなんの意味もなさない。
口の端と言わず全部から滝のようによだれが出てくる。
赤ちゃんである私にはそれを止める術はない。
女神が切って放置したままの肉をわし掴む。
はぐ!
噛み付いた瞬間に溢れる肉汁。
求めていたのはこれだった……。肉はやっぱり美味しい。お肉さま万歳!!
私は夢中で口に入れた。
切られたとはいえ自分の手よりも大きい肉の欠片だ。
それをもぎゅもぎゅと噛み締めるが、噛み切ることはできない。下品だけど口から出して前歯で引きちぎる。
奥歯が生えてないから噛みしめられないのは仕方ない。
しかし絶対に残すまいと必死にぎゅむぎゅむ噛んでいたら、次第におなかがいっぱいになってきて……。
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どうやら家の女神様は料理が下手なようだ。
薄々、そうなんじゃないかなとは思っていたんだ。
だって黄土色の粘土の原料である黄色い粉を舐めても小麦粉のような味しかしなかったし、水だってまずくはない。
作ってるときだって、粉と水を混ぜて火にかけるくらいの単純なものだったから普通ならまずくなるわけない。
黄色い粉は熱を通したら苦くなるのかな?とか考えたこともあったけど、はっきりした。
焦がしてるんだよ。
肉を炭に変えてしまうんだ。
穀物だって焦がしているに違いない。
父のほうが上手いというのは意外だったが、片手しかない御仁に料理をさせるのも心苦しい。
あーあ、目の前にあるこの足がもっと長かったらなあ……。
「はーい、腰あげてー」
いつの間にか寝落ちし、目が覚めたらオムツを替える時間だったようで、赤ちゃんの足を見ながら腰を上げる。
ふきふきふき。
お尻を拭かれている感覚はなれない。
慣れちゃいけない。
……本当、早く大きくならないかなあ、私。
そんなふうに逃避しながら、新しいオムツに変えてもらうために再度腰を上げるのだった。
