第二部 人造人間編
第二章 過去へ
Other side 怒り
その部屋はひどく暑く、息苦しい。
白い建物は中でさえも明るく、光を反射しているようだ。外に出れば白い地面に影がくっきりと映り、歩けば踏みしめるほどに体全体が重くなる。
向こうに視線を投げればただまっすぐな地平線が目に入り、見つめていると目が霞んだ。
耳鳴りさえ聞こえてきそうなくらい静寂に包まれたそこは、たった二枚の扉で現世と隔てられた異質な世界。精神と時の部屋と言われるところだ。
そこに立つのを許されているのはたった二人。内一人が拳を握り締めながら口を開いた。
「お父さん。僕、強くなりたい」
誰よりも強くなりたい。
目がそう訴えていた。
「ああ悟飯、おめえならなれる。心配すんな!」
息子である悟飯の様子に微笑むと、悟空は父親らしく頭を撫でた。
だがすぐにその手は止まる。
雰囲気がいつもと違う事に気づいたからだ。
悟飯の瞳はまるで火が入った窯のように奥がちらちらと輝き、火花でも散っているかのようだった。
「よろしくお願いします!」
「お、おう。気合入ってんなー」
勢いよく頭を下げる悟飯の姿は並みならぬ決意を感じさせるのに十分すぎるほどで、悟空は一瞬気圧されたように目を瞬かせた。
しかしすぐににぃっと笑うと悟飯の肩を軽く叩いた。
「じゃあ早速始めっか!」
悟空の言葉に顔を上げるとその拍子に目の端に時計が映りこむ。
引きつける時計の針は着実に時を刻んでいた。
悟飯はそれを見て、口を真一文字に引き結ぶ。
(一年で強くなれば会える。強くなれば、守れる)
言うなれば決意に似ていた。
もう、あんな思いはしたくない。
そんな考えが今の悟飯の中で大きくなり、早く早くと気を急かす。
そうさせた相手は悟飯にとって、友人とも呼ぶことの出来ない一人の少女だった。
+ + + + + + + + + +
「サーヤといいます。ナウネという星から来ました」
少女は唐突だった。
人造人間と戦っていたその時に、いきなり目の前に現れたのだ。
少女は黒い髪に黒縁の眼鏡をかけ、自らを異星人だと称した。
しかし。
(……とてもじゃないけど異星人には見えない……)
少女の近くにいたのがナメック星人――ピッコロだったのが悪かった。
緑色の肌をしているでもなく、目玉が三つあるわけでもないその少女は、悟飯の目にはごくありふれた普通の少女にしか見えなかった。
ブルマ達を一緒に運ぶ時も同様だ。
サーヤは飛べたが、一緒に未来から来たトランクスも飛べるのだから不思議でもなんでもない。
むしろどこに異星人の要素があるのか、探すほうが難しかった。
だから悟飯は少女がどこか辺境の土地から来ただけなのではないかとほんの少し疑ってしまった。
もっとも、異星人かどうかなんてそんなことは、悟飯にとって些細なことでしかなかったのだが。
「なんか手触りがヘン。柔らかい綿みたいなのに皺にならない……なにこれ」
「これは確かヒトデみたいな動物からできてるらしいです。洗濯しても皺つかないからとても良いんですけど、水に濡れたらものすごく重くなりますね」
「雨降ったら意味ないじゃない」
「雨ぐらいじゃ重くなりませんよ。そうですね……お風呂につけておくと全部吸いとってしまうくらいです」
「全部!? 端っこでいいからちょうだい!!」
悟飯が気になったのはブルマとサーヤの会話だ。内容もそうだが、話し方がなにより気になった。
子供っぽくないのだ。
悟飯と同じくらいの姿をしているのに、丁寧だった。
それは悟飯にとって嫌悪を感じさせるものではなく、どちらかというと喜びのほうが強い。
悟飯はそんな子供に今まで会った事が無かった。だから非常に興味を抱いたのだ。
悟飯には人間の友達がいない。
山深いところに住んでいるため学校には通っておらず、周りの家には老人しか住んでいなかった。
そうなると必然的に接する人々は自分よりも大人になる。それもあって悟飯は同年代の子供と遊ぶというのを苦手としていた。
が、それだけが理由ではない。
子供というのは時に残酷である。
悪戯に動植物を傷つけ反応を確かめるという事を間々行う。
好奇心の赴くままに地面を這う虫を踏み潰し、空を飛ぶものの羽を千切るのだ。
そこに可哀想という想いなど無く、単に結果を確認したいという考えしかない。
それこそが純粋無垢であるという証で、ごく普通の子供の共通点であるといえるだろう。
町に買い物に行けば子供はいる。だが公園で無邪気に遊ぶ同じくらいの子供たちに悟飯はまざろうとしなかった。悟飯の不幸は周りに現れる子供が普通の子供だったということだ。
必然的に動植物から命を分けてもらい、毎日を必死に生きていたピッコロとの修行を忘れることが無かった悟飯は、それがどんなに小さい虫だろうと悪戯に命を奪う行為を嫌った。
だから同年代の子どもよりも動植物と戯れるほうが性根のやさしい悟飯に合ったのだ。
サーヤは悟飯が知る子供とどこか違う。
それがはじまりだったのだろう。
サーヤは悟飯の家に行けば丸くてかわいいと言い、チチの弁当を食べれば幸福そうな顔を見せ、教科書に載っているような建物を不思議そうに見た。ころころと表情を変えつつ、わからないことをよく聞いた。
他にもある。宿題をやり忘れたと焦る姿はいつかの自分もそうだったと思い出し笑みが零れたし、一緒に買い物に行けばきょろきょろと目を彷徨わせその姿に微笑ましく思うのは自然だった。
(今度は東のほうの秘境の話でもしようかな……あ、島でもいいかな)
地球のことを知らないサーヤに教えるのは約束をした悟飯の役目だ。
文字が読めないサーヤは、文化や気候、政治などあらゆるものに興味を示す。取り分け熱心だったのは地理だったので、悟飯はそれについて持ってきた教科書や資料集を引っ張り出しサーヤに教えた。亀ハウスに訪れてからの暇な時間をそれに費やしたのだ。
そしてその時間は悟飯にとって短い時間ではあったが、実に楽しい時間だった。
今までは大人に教わる立場だったのが逆の立場になると面映く、それでいて嬉しさと高揚感が入り混じる気分にさせた。
たとえ差し出された手を握り返したらすごく痛がられてしまってつらくなっても、そのやわらかさをずっと覚えているほど悟飯はすでに――。
「無理です」
友達になって欲しい。
そう願ったとき、返された言葉だ。
かけてしまった水しぶきのせいなのか少女は泣いているように見えた。
泣くほど嫌がられていたのだろうか。
そんな考えがよぎっただけで、悟飯はその場から逃げ出してしまった。
それまで散々痛い思いさせてきたから当然だとも思うのに、断られたことが悲しい。
自分が力加減すら間違わなかったら、断られなかったかもしれないと思うと悔しい。
悟飯は唇を噛み締めながら飛行機に乗り込んだ。
少女の泣きそうな顔と痛がってる顔、笑ってる顔が悟飯の頭の中をぐちゃぐちゃになりながら回る。淀んだ思考をしていると、傍らのクリリンが悟飯の肩を叩いた。
「気を落とすなって! 友達ぐらいすぐなれるさ!」
「……え?」
「ははは、壁薄いからさー丸聞こえ」
「えええっ! き、聞いてたの!?」
クリリンはニヤニヤと面白そうに笑い、ヤムチャは運転席で声を上げて笑う。
一方天津飯は興味なさげにあさっての方向を向いていた。
「サーヤちゃんは結構いい子だろ。ブルマさんやチチさんとはタイプが全く違うから遠慮しちゃってんじゃないかなー。ほら……未来に帰っちゃうし」
クリリンの言葉に、悟飯は俯いた。
(そうだった。平和になったら帰っちゃうんだ……)
断られたということにばかり意識が行って、今更住む世界が違うのだということを思い出す。
最初から無理な話だったのだと自分に言い聞かせるほどに気分が沈み、それを垂れ下がった眉が表していた。
「――俺にはそういう感情がわからんが……嫌ならばそもそも逃げているのではないか。痛みを我慢してまで付き合う利益はなかろう」
ピッコロは気遣うように悟飯を見下ろす。それに対して悟飯は困ったように答えた。
「……海苔です。海苔の製造方法を知りたかったみたいで、それと引き換えに……」
「まっさかー……え? まじなの?」
「ほんとに?」と再三確認するヤムチャの声が飛行機に響く。
それを境にしんと静まりかえった機内で、悟飯は俯いた。
「……セルを探さねばならん。そんなことを言い合っている場合ではないだろう」
「相変わらず硬いヤツだな。四六時中セルのことばっか考えてたら頭煮えちまうよ。ったく」
天津飯とヤムチャの掛け合いも虚しく、再度辺りは静かになる。
はあ、と誰かがため息をついた。
「……友とは宣言してなるものだろうか。俺はここにいる奴らの事を仲間だと思っているが、そんな宣言した事がない。……ヤムチャに友だといわれたら――蹴るが、そうでないとも言い切れない。そういうものなのではないのだろうか」
「喧嘩売ってんだな? よし買ってやる。まずランチさんに連絡してだな」
「待て。何故お前がランチさんの連絡先を知っている」
やり取りを聞いたクリリンは目をぱちくりと瞬いた。
「そうだよ! 断られたからってしょげるな! もう友達だって! もうなっちゃったって言えばいいんだよ!」
悟飯はクリリンの言葉に首を傾げて思った。
そんな騙すようなやり方をしてもいいのだろうか、と。
悟飯は賢いが人間の友達の作り方を知らない。
だから確かめる意味も込めてそのまま隣の師を見上げる。しかしピッコロは無い眉を顰め、ため息を吐いた。
「俺を見るな。わからんと言っているだろうに……」
それから誰になにを言われても悟飯の気分は晴れなかった。
むしろ考え込むことが多くなり、ピッコロに「ぼさっとするな!」と叱咤されるほどであった。
転機は悟空と共に神の神殿へ足を運んだときに起こる。
ベジータ達が精神と時の部屋に入りその部屋の前で待っていたとき、サーヤがいきなり現れたのだ。
「お弁当を持ってきました」
そう言って大きな重箱を取り出してさっさと並べていく手際のよさに、悟飯たちは呆然と見ていることしかできずにいた。
(あ、れ……)
ふと重箱の真ん中が目に付いた。
こんがりと狐色をしたそれは見慣れないもので、チチが作ったものではないことは明らかだった。
(コロッケ、だ。ボクがすきだっていったやつ。……いっぱいはいってる)
かぶりつくとつぶした芋がホクホクとしていて口内を焼くが、そんなものは気にならないくらいの喜びが悟飯を包む。
――嫌われたと思っていたのに。
横目で見れば、視線に気付いたサーヤがそっと視線を外した。
つれない態度に俯けば温かいコロッケが目に入る。悟飯はそれらを交互に見てから、もう一度コロッケを口にした。
美味いものは美味い。
サーヤがなにを思って作ってくれたのかは悟飯の知る由もなかったが、好物だと伝えたものが目の前に多量にあるという現実は、悟飯にずいぶん勇気を持たせた。
(クリリンさんが、断られても友達だって言い張ればいいっていってた。……少しぐらいなら、いいよね)
どうせ未来に帰ってしまう。なら、少しぐらい思うとおりに振舞ってもいいだろう。
悟飯はそのとき間違いなく、子供らしい『わがまま』を抱いた。
+ + + + + + + + + +
「違う違う。それじゃ気をでかくしてるだけだ。怒れ! プッツンと切れるんだ」
「そ、そんなこといったって……おこれないよ」
肩で息をしながら悟飯は疑問をぶつける。
怒れと言われてもいきなり出来るわけもなく、『切れる』ということに関してはそれ自体どういう状態なのかピンと来ない。
修行を始めてから数日たったというのに一向に超サイヤ人になれず、親子は悩んだ。
「そうだ! オラやピッコロがセルに殺されそうだと想像してみろ!」
「僕、セルは見たことないもの……」
「じゃあフリーザでもなんでもいいさ」
悟飯は自らの手を見ると硬く拳を作った。そして深呼吸し目を瞑ると思考をめぐらせる。
――真っ先に思い浮かんだのは、手だった。
怒りの元を探しているはずなのに、思い出すのはセルでもフリーザでもなければ、父親や師匠の死でもなかった。
小さくやわらかい手は、撫でるように悟飯の頭の中から離れない。
……そうじゃない、やり直そう。
目を開ければ握った己の拳が目に入る。
小さな手を掴んだ自分の手。
一度認識してしまえば昨日のことのように感触が思い出され、連鎖的にその手の持ち主が頭の中に居座る。
サーヤは、僅かでも力を入れようものなら痛みを訴えた。
抱き上げたならその体の軽さに驚いて、力を抜きすぎたら落としそうになり、しっかり抱きとめたら潰してしまう恐怖がよぎったのも、悟飯にとってはついこの間のことだ。
サーヤは守ってやらなければ死んでしまう側の人間だった。
それがよくわかる出来事を、悟飯は見ていた。
――――トランクスたちが部屋からでてきたあの日。
悟飯はベジータが放った気弾がサーヤに向かっていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
とっさで体が動かず、防げなかったのだ。
「う、ううう」
あの時、今まで感じたことがないぐらい頭が熱くなって、どうにもならないぐらい震えたことを体が覚えている。光景を頭に浮かべれば、すぐに頭がかーっと熱くなり、体が勝手に強張った。
殴ってしまいそうになるくらい頭が煮え立ったのは悟飯にとって数えるほどしかない。
それを、一緒に戦う仲間なのだと言い聞かせ抑えたのは悟飯自身だ。
あの時確かに悟飯は怒っていた。
ベジータと、なにも出来なかった自分に。
(僕のほうが近くにいたのに、守ったのは――――!!)
思わず噛み締めた奥歯がガキンと鳴った。
沸点に達したかのように一瞬目の前が真っ白になる。同時に悟飯の髪の毛が金髪に変わった。
「ぐ、ぐぐぐぐ……!」
「そ、そのままだっ! そのままの状態で興奮を抑えろ!」
しかし堪えきれず悟飯はそのまま両手を地に着けた。
息苦しさがさらに肺を圧迫し、酸素をより多く取り込もうと体全体が揺れる。
「すげえな。父さん、そんなに早くスーパーサイヤ人になるとは正直思ってなかったぞ……この調子で行けばさっさと終わっちゃうかも」
悟飯はがばっと顔を上げた。
「い、1年は修行するんじゃないの?」
「ん? ある程度出来上がったらやめっかな」
飄々と答える父親を悟飯は信じられないものを見るような目で見つめ、声を荒げた。
「お父さん! 僕は強くなりたいんです! そんな適当で本当に強くなれるんですかっ!」
気迫が衝撃波となって悟空を襲う。それに目を見開きつつ悟空は首を傾げた。
「……おめえ部屋に入ってから変だぞ? そんなにむきになるほど好きだっけか、戦うの」
的確な悟空の指摘に悟飯は唇を噛んでうつむいた。
+ + + + + + + + + +
精神と時の部屋には建物がひとつだけ存在している。
その両端には大きな砂時計があり、さらさらと下に落ちることで時の経過を知らせているが、それがどの時間を示しているのかはわからない。
しんと静まった早朝、早く目が覚めた悟飯はその時計のそばに座り込んだ。
朝といってもまだ寒く、吐く息はすべて白く変わり砂時計のガラスを曇らせた。
大きな砂時計に耳を近づけると砂が落ちる音だけが耳を満たす。
(……聞きたいのはこの音じゃない)
悟飯が求めていたのは、いつからか朝に聞こえるようになった少女の歌声だ。
隠れて歌っているような遠い歌声は、気付いた途端悟飯を魅了した。
しかし当然ながらここでは聞くことは叶わない。
悟飯は砂の音を代わりに想いをはせる。
(でももう少しで会える。外に出たら……あ……)
そこでじわじわと思い出す。浮かんだ光景に悟飯は唇をくっと噛んだ。
(謝らなきゃ)
ベジータに疑いを掛けられたとき、そこにいる誰もが疑惑の眼差しをサーヤに向けた。
それは悟飯も同じく、ベジータの性格をよく知る者が大半だったからだろう。
あの時、サーヤには味方がいなかった。
サーヤをその背にかばい、動揺することすらなく守り通したトランクスを除いて。
悟飯にとって、二人は信頼し合っているように見えた。
その時の悟飯の感情を一言で表すとすれば羨望だ。
トランクスに縋る様にして上着を握り締めていたサーヤのことを、悟飯は繰り返し思い出していた。
そしてその度に後悔する。
「――僕も……」
悟飯はガラスに頭を擦りつけ小さく呟く。その幾分掠れた音の先は、現れもせずに息になって消え失せた。
再度訪れた静寂の中で、悟飯はゆったりと目を瞑る。
もうすぐ、部屋に入ってから一年が経とうとしていた。
