第一部 旅編
第一章 始まり
8 視界
「音がずれてるわよ。ちゃんと出しなさい」
さして広くない庭で、私は足をすこし開いて腹から声を出す。
それこそ何回も何回も同じところを反復し、歌った。
「できないわけないでしょう? あなたはセーリヤ人なのよ? どうして外れるの。学校でなにを習っていたの? なにをその頭に詰めたの」
仁王立ちで見下ろす母は普段とは全く様子が違う。
恐ろしいほど厳しく、怖い。
「何度言えばできるのかしら。まさかわからないなんて言わないわよね。その耳は飾り? もいで洗いましょうか」
声がかすれるほどに音を出しても、外れれば叱責が飛ぶ。
それは重ねるごとに内容も酷くなり、ぐさぐさと心に刺さった。
「地球に行くまでに覚えなければならないのよ? それが最低。できなければ許さないわ」
私は水筒の水をあおると手の甲で口元を拭った。
「わかってるよ!」
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つい先日、双子が誕生日を迎えた。
双子は男の子と女の子の弟妹で、すくすくと育った今はもっぱら父と行動を共にしている。
どちらも女神に似た顔立ちをしており、まさしく天使だった。
それでよかった。
なのに、母に連れられていった先ではそうではなかった。
ここでは一定の年齢になると神官のところに連れて行かれる。
すべての子供が〈壁〉を作れるかどうか調べられ、一方的に優劣を決められてしまう。
空を覆う〈壁〉を作るのはここに住む人の義務だ。すなわち、〈壁〉を作れなければ住人とは認めてもらえない。
弟妹は〈壁〉を作ることができなかった。
双子は外見こそ母に似たが、中身は父に似たようだ。
劣の判断を下された双子は学校へは通えない。
別にそれはいいのだ。
学校で教えているような簡単な学問は私でも教えられる。
あとは〈壁〉の使い方を教えているだけのところだ。双子に行かせる意味はない。
しかし状況が悪かった。
フリーザが死んでしまい、父の身の安全が保障されなくなった。双子も同じだ。
母と私、どちらも〈壁〉を使えるからいいものの、それはある意味、綱渡りのようなものだった。
いずれは一緒に暮らせなくなる。
それを打開するためには優秀でいなくてはならない。
だから私は学校では成績をトップに保った。
せめて地球に行く準備を整えるまで、誰にもなにも悟られるわけには行かない。
空の〈壁〉を毎朝整え、教師の機嫌をとり、他人にも媚を売った。
できることはなんでもやった。
ここから出るためだと自分に言い聞かせて。
けれどそれらが最終的にすべて無駄になったのは、肌寒い春のある日のことだった。
「やれやれ。せっかく目をかけていたというのに」
目の前の一級長がこちらを見もせずに封筒を投げた。
足元に落ちたそれには、私の名前が書いてある。
「……出て行きたまえ。〈モルドス〉にここにいる意味などない」
封筒を手に取り、中身を確認することもなく私はその部屋を出た。
廊下にはたくさんの人が溢れ、好奇な視線や侮蔑的な視線を遠慮なしに投げかける。
誰かが始めに言い出した。
「ざまあみろ、混ざりモノのクセに。〈エナ〉なんてそもそもが間違いだったんだ」
その言葉を皮切りに、たくさんの言葉が耳をすり抜けていった。
「所詮紛い物に過ぎなかった、ということか」
あれだけ私を賞賛していた教師も、ため息をついて放つ言葉は差別的だ。
「〈モルドス〉だし落とされるのかな。買うか?」
「まさか。冗談だろう? あんな〈バナン〉」
「違いない。あんな顔では面白みもないな」
貴族たちは貶めながらニヤニヤ笑い、他の子どもは遠巻きに見ている。
そんな中、道の向こう側から飛んでくる者がいた。
薄紅色の髪をなびかせた少年は私の前で床に足をつける。
「サーヤ! もう帰るんだよね? 僕、送っていくよ!」
少年は、この場の誰よりも楽しそうに笑った。
伸びてきた白く美しい手は、有無を言わさず私を掴み、引っ張る。
その様子に道端の教師は声をあげた。
「ああ、あの方がいらっしゃった。感謝せねばならないよ。お慈悲を下さるのだから」
「しかし嘆かわしい。〈ルベル〉の方々もさぞ悲しまれることでしょうな」
わずらわしい言葉を無視するように私は手の中で皺を寄せた封筒を見ていた。
あわただしく帰路についたとき中を改めようと封筒を開ければ、予想していた通りの言葉が書かれていた。
視力低下による、落第。
前から兆候はあったのだ。
目の前のものがぶれて見えたり、ぼやけたり。それは次第に悪くなり、気が付いたら私の目は遠く離れたものを見ることができなくなっていた。
空の〈壁〉は感覚で張ることができるが、そんなことは関係ない。
ここでは目が悪くなるということ自体が許されない。
視力を補う道具がないのだから。
つまり、視力が低下した人間――〈モルドス〉つまり〈障害者〉は社会からはじき出される。
それがまかり通っている場所だった。
書かれた紙をぐしゃっと握り締め、私は学校から去った。
権力者の子どもに連れられて。
「サーヤ、大丈夫? 変なこと言われなかった?」
悪気のなさそうな顔をして私の隣を歩いている少年の瞳は、まるで紫色の宝石のように煌いている。
身分の高い者が着る服を着崩しているが、高貴な雰囲気は損なわれていない。
この少年はここらでも特に整った容姿をしていた。しかしあまりに整っているため無機質に見える。
――私は、この少年が苦手だった。
「特には。……ラパト様は外れないのですか? 目が悪くても」
「敬語やめてっていったのに。次に言ったら怒るからね。……目のことは僕、気にしないよ。近づけば見えるんでしょう?」
「家はこっちだね」と、弾んだ声で私の手を引っ張るラパトは、教えてもいない正確な道を歩いていく。
「ねえ、もう学校には行かないんだよね? いつ僕のところに来る?」
すでに決まっているような物言いに固まると、ラパトも歩みを止めた。
「どうしたの?」
微笑むその顔は是非さえも許さないと言っているかのようだった。
「お、弟たちがまだ小さいので。双子だから手がかかって! だから……ま、まだ」
「ああ、そっか。じゃあ遊びに行ってもいい?」
「そ、れは……」
「いいよね? 学校の授業も教えてあげられるし! ねっ」
いいえ、結構ですなんて言えない。
言ったが最後、私は家に帰れなくなるだろう。
〈ルベル〉という人々が住む場所に行った、他の人たちと同じように。
この人が求めている答えはYesのみ。
それを延長させるのに寛容なのは私がまだ子どもだからだ。
私はかくんと頷いた。
ラパトは満足げに口角を上げる。
「行こう」
ラパトは私の手を掴んで再び歩き出した。
手の感触がこれまでに無いくらい気持ち悪かったけれど、振りほどくことはできなかった。
「――本当はずっと心配だったんだよ。なにせ〈ジェニル〉が10人もいたから。でももう僕しかいなくなっちゃったね」
ふふふ、と笑う声はとても嬉しそうに聞こえる。
私は矛先を変えようと声をかけた。
「ほ、他の人のところには行かないの? あの、二級の水色の髪をした人とか」
「あはは! どうして? 面白いこというなあ」
ラパトは楽しそうに目を細めて笑う。
私にはどこが面白かったのかわからなかった。
「行かないよ。必要ないもの」
ラパトはきっぱりと言い切った。
目の淵が赤く色づき、花のように淡い薄紅色の髪が揺れる。その間から覗く瞳は、期待を込めるように私を見つめていた。
背中を、冷や汗がつたっていく。
なぜ、ラパトは私を望むのだろう。
既に用無しだと決め付けられ、自分に価値がないことを私は知っている。
それでなくとも宇宙船の窓に映りこんだ自分の姿を見て愕然となったのだ。
前世の姿とほぼ同じ。
よっぽどの美少女になったのだと思っていたのに、何度見ても宇宙船の窓には平凡以下の顔しか映らない。
貴族がブスだと言ったのに納得した。
この星では考えられないほど、私は醜い部類に入る。
目も見えず、姿も醜く、義務を果たすこともできない。
侍らすならばこんな女よりも、他にいっぱいいるだろうに。
意味がわからず、私は恐れにも似た思いをラパトに抱いていた。
「サーヤも、どこにも行かないよね?」
にっこりと笑った顔は夕日に照らされて、ほの暗く見えた。
