第一部旅編
第五章 地球
46 迷路
「このままだと気のコントロールすらも危うい」
いきなりなにをいっているんだこの人は?
ハンマさんは深刻そうな表情をしているが、私は首を傾げた。
今そんな話されても。後でじゃだめなの?
とりあえずトーガの誤解を解きに行きたい。
「後でお願いします連れてくるんで」とハンマさんを追い越そうとした。――しかし。
「トーガから話を聞いたんだ。ボクではトーガに教えることはできない」
ピタッと身体が止まる。
半ば無意識にハンマさんに向き合った。
「――どういう」
「まず降りよう。飛んでいると皆が気にする」
言われたとおり地面に降りると、ハンマさんは一度口ごもるように唇を引きしめた。そしてゆっくりと話し出した。
「――トーガは言ってたよね。気のコントロールができないって。厳密にいうと違うんだ。空を飛べているからできてないわけがない。……なんだけど」
よくわからずに私は首を傾げた。
「私と違うんですか?」
私だって空を飛べるけど、コントロールできているとは言えない。
一緒なのでは?と思ったけれど、どうやらハンマさんの言いたいことは違うらしい。
ハンマさんはゆるゆると頭を振るとトーガが消えた方向を見た。
私も同じようにそちらを向けば、シルエットだけがわかる小高い丘の向こうにトーガの気配がある。
まるでいつぞやのあの日のように、月は大きく夜空に浮かんでいた。
「トーガは……サーヤたちはずっと一緒にいたから気づいていないんだろうけど、トーガは気を抑えて生活してるんだよ。だから、コントロールできないんじゃない。加減が、わからないんだ」
ハンマさんを見上げた。
「おかしいと思ったんだ。一緒にいてさ、高めなくても簡単に出せるくらい体に気が回ってるのに……できないって言うだろう? 詳しく聞いたら抑えてたって言うんだ」
――抑えて、る?
どきっと胸が嫌な感じに跳ねた。
ハンマさんは視線を私に向け、言葉をつむいだ。
「開放したら周囲に影響が出るってわかってるからだろうね。大した子だよ。抑えながら少しずつ出してたらしい。でもそれこそ全部開放しないと加減なんてわかるわけないじゃないか。だからそうしろって言ったんだけど……『怖い』っていうんだ。『どうなるかわかんないから』って」
意味を理解した瞬間、身体が石のように動かなくなった。
頭の中に浮かんだのは『止まれ』といいながら体を抱え込んでいるトーガの姿。
「……だれもいないところだったら大丈夫だって説得しても、『二人が気づくから嫌だ』っていうんだ。前にそういうことがあったのかい? 怖がられるのが嫌なようだよ」
さっきまで頭の中にあった、訂正しなければという思いは砕けた。
そのまま倒れるように地面に膝を付く。
気遣うようにハンマさんが私の名を呼ぶが、身体は傾いて乾いた土に手をつけた。
――捕まった時、確かに私はトーガがこわかった。
発作の時も、私は怯えた。
それを――そうか。
気付かれていたのか。
握りこめば爪に土が入り込む。
「……言わないでっていわれてたけど、サーヤは知らないと駄目だと思ったんだ。これからも宇宙船で旅をするんだろう? 船内は体を動かしたりできないだろうし……抑えつけたままだといつか爆発してしまうよ。トーガはボクらと違って、体を動かして発散させないと駄目なタイプだと思う」
涙が溢れて地面に落ちる。
地面は真っ暗でなにも見えず、涙は吸い込まれていった。
どうして気付かなかったのだろう。
トーガが苦しんでいることに。
――いや、気づいてはいたのだ。
単に、慣れてしまっただけだ。
発作はアルカトランを過ぎてから回数が激減した。なったとしても次の日には必ず元に戻った。
そのうち無くなるのかもしれないな、と楽観視していたというのもある。
トーガはつらい思いをしているのに、自分にはどうにもできないからと私はなにもしなかった。
それよりも先に、地球に行かなければと思ってしまったのだ。
それが、幼い弟にさせていた気遣いの上に、胡坐をかいていたことだと気付きもせずに。
――大馬鹿者。
自分を罵って、私は身を縮めた。
「どう、すればいいんですか」
口を開けばなんとも弱弱しい声が出た。
「どうしたら、抑えなくてもよくなるんですか」
顔を上げることはできなかった。
なにも気づかなかった自分が恥ずかしくて、なにもできない自分が悔しくて、悲しくて。
熱くなった頭の中はぐらぐらとゆれた。
「……誰もいないところ……無人の惑星とかかな。そこに一人置いて、暴れさせたらどうだろう。やりたいようにやらせれば、破壊させれば自然と加減を覚えるよ。きっと」
そんなの無理だ。
トーガは必要以上にものを壊したり、動物をいじめたりして楽しんだりはしない。
サイヤ人は残忍で冷酷なのだという前世の設定を覚えていた私は、そうさせてなるものかと育てた。
食べるものに敬意を払い、むやみやたらに殺すなときつく言い含め、できる限り道徳観念を植え付けたつもりだ。
だから人を殺したときに涙するサイヤ人になったのだ。
ヤドカリの卵をとるときも生みつけたばかりの卵に謝りながら取り、ギンさんのような虫人間でも差別しないような、やさしい子に育ったのだ。
育てたのだ。
私はぶんぶんと首を振った。
「そうじゃなきゃトーガよりも強い人に教えてもらうとか? それだったらもし暴走しても大丈夫だろうし、遠慮なんかしないんじゃないかな。……地球に行くんだろう? そこにはいないの?」
「いるかどうか、行ってみないとわからない……です……」
「そうなの……」
そうだ。行ってみないとなにもわからない。
でも、もし誰もいなかったらどうしよう。
悟空さんがヤードラットに来ていないのなら、きっと皆死んでしまっている。
トランクスさんだけしかいないはずだ。
けれど、トランクスさんさえもいなかったらどうすればいい?
誰もいなかったらナメック星目指そうと思ってたけど、トーガはそれまで持つんだろうか。
トーガがまた同じようになったとき、私は止めることができるのだろうか。
―――どうやって?
私は頭を抱えた。
ぐるぐると回りだす頭の中は迷路にでも入ったように出口は見えない。
途方にくれていたらぽんぽんと背中を叩かれた。
顔を上げればハンマさんがしゃがみ込んで頬杖をついている。表情は心なしか沈んで見えた。
「トーガに技を教えることはできないけど、助けにはなれると思う。ボクらは力こそ弱いけれど、いろんなところにいけるんだ。数多の星の中にはトーガの力になってくれる人もきっといるさ」
ぽろっと涙が頬を伝った。
「いろいろ貰っちゃったし、もともとボクがつれてきたんだしね。二人が覚えるまでボクが面倒見るよ。だからそんなに泣かないで。目が取れてしまいそうだ」
ぽんぽんとまた背中を叩かれた。
鼻をすすりながら返事をすると、ハンマさんは立ち上がった。
「だから泣かないでって。トーガはボクが様子見るから、サーヤは帰りなよ。落ち着いたら帰らせるからさ。サーヤがそんな状態だったらトーガがもっと苦しくなっちゃうよ。ね? チルも心配してるだろうし」
私の涙はさらにぼろぼろこぼれた。
「大丈夫だよ。こういうのはオトコ同士がいいんだ。任せておいて」
こくこくと頷いてしゃくりあげながら私はとぼとぼと宇宙船に帰った。
鼻水や涙が流れ続け、ハンカチでいくら拭っても止まることはない。
眼鏡も掛けることができずに、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら歩く道は薄暗い。
建物からの明かりがないところは真っ暗で、ちょうどなにかに躓いてぐしゃっと転んだ。
弾みで眼鏡が飛んでいく。
もともと悪い視界が涙で更に悪くなっているまま四つんばいで眼鏡を取ると、私は座り込んで俯いた。
『自分のことだってうまくできねえのにっ!』
トーガは、そう言っていた。
てっきり、モノをよく壊すだとかの物理的な力加減のことだと思っていたのに。
まさか、発作のことだとは考えもしなかった。
――父が生きていれば。
両親が生きていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
〈セーリヤ〉で、死ななければ――。
「ぅ……っ」
己の無力さに思わず呻いた。
服の袖で涙を拭いてもまた流れて落ちる。
繰り返した後、膝に光が当たっていることに気が付いた。
顔を上げれば、まるであの夜のような大きい月で視界がいっぱいになる。
私はその月を思いっきり睨んだ。
トーガは、その夜から宇宙船に帰ってこなくなった。
ヤードラット人たちと一緒に過ごすようになって、毎日ハンマさんが様子を教えてくれる。
聞けばどうやらハンマさんの家族と他の星に行っているらしい。
「賢い竜がいる星があってね。仲良くなったようだよ。当分そこで遊ぶみたいだ」
ハンマさんはそう言って微笑んだ。
その言葉と表情は、私の心にはなんの変化も起こさなかった。
私の頭の中はぐるぐるとした迷路を彷徨うようで抜け出せてはいない。
「竜の子どもと遊んでいたよ。発散できているようだから、心配しなくてもいい」
次の日、ハンマさんはほっとしたような笑顔で教えてくれたが、愛想笑いしか返せなかった。
私は毎日お弁当とお菓子を作って〈かばん〉に入れて、ハンマさんに手渡す。
空になって返ってくるお弁当箱だけが、トーガが元気なのだという証拠だった。
お弁当箱を洗いながら思う気持ちは、安心というよりも寂しさと罪悪感。
一人減っただけなのにやけに広く感じる宇宙船も、うつむいたままのチルの表情も、ころころと転がるシロも。
進まない気のコントロールも。
すべてがそれを強調させた。
ある日の夕方。いつもと同じように晩御飯を作っていると、いきなりチルが現れた。
瞬間移動で来たらしい。
まだ私が満足に気のコントロールができていない内に、チルは覚えてしまった。
そのチルは全身がびしょぬれで、頬を腫らしている。
まるで喧嘩した後のような風体だ。
「ど、どうしたの? ソタ豆食べる? お、お風呂に入る?」
「…………ケンカしたの。ソタ豆は食べない。お風呂は……入ってくる」
驚いてじっと見ると、チルは構わずにお風呂のほうへ消えて行った。
喧嘩。
したのか。チルが?
ぼうっとしていたらフライパンの中身が少し焦げた。
食事をしつつそれとなく聞くと、相手はやっぱりトーガだった。
「だって……おかしいと思ったの。強いのに弱いって言うから、弱くなったのかなと思って、……でもやっぱり強かった」
チルはオムレツをざくっとスプーンで切り取ると口の中に入れた。
口元は切れているのか赤く痛々しい。
私はお茶を口に含んでその様子を見ていた。
空になっていく皿に料理を盛ってチルの前に出せば、トーガほどではないがチルもよく食べた。
この間までは二人に盛っていたのにな。
ぼんやりとそんなことを考えていると、耳に入ってきた言葉に手元が狂った。
「ねえ。地球に行けば……サイヤ人がいるっていったよね」
からん、と音を立てて皿に当たった銀色のヘラを置き直し、チルを見ると腫れぼったい目で私を見上げた。
いるかどうか、わからない。
そう伝えようとしたが、口を開くのはチルのほうが早かった。
「その人たちはひどい人たちじゃないの? ナウネ星とか、ビルタさんの星とか、アルカトランの人たちにひどい事したのはサイヤ人でしょう? 地球の人たちをいじめてたりしないの?」
内容に瞠目し、私は即座に反論した。
「しないよ! 地球のサイヤ人はそんなことしない! 戦うことが大好きなだけの、優しい人たちだよ!」
確かにサイヤ人は略奪を繰り返してきた根っからの簒奪者かもしれないけど、地球にいるサイヤ人はそんなことない。
そう伝えればチルは真面目な顔をしてまっすぐに私を見つめた。
「強いの? トーガよりも?」
「断然強いよ! 全世界で10人達人を選ぶとしたら地球のサイヤ人は皆その枠に入るくらい強いよ! たぶん! ……けど……」
私はそこで口を噤んだ。
しかし、それを疑問にすら思わなかったのか、テーブルに手をついてチルは立ち上がった。
「なら、わたしたちに力の使い方を教えてくれないかな!? そうしたらトーガはもっと強くなれるし! お父さんもお母さんも生き返って、皆で暮らせる!」
間近に迫ったチルの顔は、頬と片方の目が腫れて、額には傷、顎は赤くすりむいているようだった。
それでもまるで飴玉のような艶やかな光を映している瞳は、キラキラと輝いている。
そんな期待がこもった表情を見たら「もしかしたら」なんてとてもじゃないけど言えない。
「……う、……うん……」
ゆっくりと頷いて返事をすると、チルはニコッと笑った。そして座り直すとおいしそうにハンバーグを食べ始めた。
食事を終えお弁当を持っていこうとしたとき、チルが袋を持ち上げた。
「わたしが運ぶ。お皿も洗うから、サーヤは修行してて。早く瞬間移動覚えて、早く地球に行こ」
「ね!」と言うなりチルは瞬間移動で消え失せてしまった。
途端に部屋は静かになる。
誰もいなくなったリビングで、シロがころころ転がっているのが見えた。
「う……」
私は駆け出してシロに抱きつくと、白い毛に顔をうずめた。
――言えなかった。
地球に行っても皆死んでるかもしれないなんて。
だれもいないかもしれないなんて。
ヤードラットについた事は喜びとしか表現できない。
期待と希望。
それしか私の頭には無かった。
間違いなくドラゴンボールの世界、しかも主人公が訪れたことのある星。
主人公が使っていた瞬間移動ができるようになる所。
確実に地球に行くことができる距離。
それだけじゃない。
やっと地球に行ける。
もう暗闇をさまよわなくてもいい。
死んだ両親に会える。
双子はありのまま、平和に暮らすことができる。
安定した便利な生活を送れる。
――期待しないでいられようか。
考えただけで、ただでさえ大きい期待はまるで気球のように膨らんだ。
それこそ自分の運の良さを神様に深く感謝するくらいには。
でも、私の知っている人はヤードラットに訪れていなかった。
期待は大きかった分、反転すれば訪れるのは絶望だ。
トーガの出来事で追い討ちをかけられたような気分になる。
――いなかったら、どうしよう。
恐怖にも似た大きな不安は、私の胸を押しつぶすようにのしかかる。
「ううううーっ!」
ぐりぐりと顔を押し付けると、シロは身をよじった。離すまいと抱きかかえて私は呻く。
……どれだけ思いをめぐらせても、すでに答えは出てる。
地球に行って生きているかを確認する。
誰もいなかったら、戻ってくる。
それ以外には思いつかない。唯一の方法であり、絶対だ。
「悟空さんや悟飯さんがいたら、なんて贅沢言わない。トランクスさんだけでいい」
泣きそうになりながら、シロに向かって呟いた。
―――だから、どうか生きていますように。
例えるならば、神社にお参りしたときの祈りのようなものだ。
受験の年に初詣で熱心に神様に頼んだときよりも強く思いを込めて、私はどこかにいる神様に祈った。
